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真山神社(男鹿市)』からの続きです。
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写真は神札所前にある丸木舟。
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手水石。
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神札所にあったなまはげ。かぶってもいいそうですが、コロナ禍でこれを付けるのは…ナマハゲよりも怖い。
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日本海域文化研究所・なまはげ柴灯まつり実施本部。
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タモさん。
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社務所。
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遺徳碑…『真山部落太田忠太氏敬神の熱誠厚く昭和九年十一月県社真山神社社務所建設に際し進んでその敷地として山林九千九百平方米を寄贈事業完成に寄与する。茲に不朽の徳を追恭して碑を建立する。昭和五十四年七月十五日真山神社』
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神社北側の社務所を過ぎて光飯寺跡地方面へ。
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弘法大師堂へ。
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三重塔。
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石碑・石仏等。
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「釈迦四国八十八ヶ所第一番」、「弥陀第二番」、「弘法大師堂有 法印淨壽敬白」などと彫られています。
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弘法大師堂。
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弘法大師石像。明徳年間に別当光飯寺が天台宗から真言宗に転じた名残りです。
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手水舎(真山神社神水)。
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光飯寺(こうぼうじ)跡…『遍照院光飯寺は廃滅して、今は礎石のみである。建立は、平安時代末期(1100年代)と伝承されており、仏教の伝播に伴って、秋田及び男鹿地方における信仰の聖地となった。その後、天台から真言宗に転じるなど変遷の道をたどり、修験の霊場として名を馳せるが、別当光飯寺は、陸奥の安倍氏、橘氏、安東氏、佐竹氏と歴代にわたる崇敬と被護を得て、繁栄をきわめた。とりわけ安東氏など中世領主は、海上の要地としての男鹿に早くから進出し、航海安全、領国の民生安定などの祈願のため、光飯寺の堂塔造営と修復を行っている。明治の廃仏毀釈により廃寺となり幾多の寺宝は散失してしまったという。男鹿市教育委員会』
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菅江真澄の道「光飯寺(こうぼうじ)宝物(男鹿の春風)」…『文化7年(1810)4月10日遍照院光飯寺にいくと、寺宝を出してみせてくれた。明沢(妙沢)作の不動尊等がある。弘法大師自筆の自画像は古びていた。出山の釈迦仏は雪舟が描いている。中国人の描いたという釈迦仏の画があり、また石摺りの不動は慈覚大師の作である。弘法大師が口・手・足などで書いたのを、五筆の心経といって一巻にしている。また、光明皇后の筆跡で大般若経や、蜀錦のきれに描いた阿羅々仙人が囲碁をしている図がある。なお、面が二つあり、一つの面は秘蔵のもので雨乞いの時にだけ、神主がこの面をかけて舞う。また、もう一つの面は丹塗りの天狗の面で、雨あげの時これをつけて舞う。小さな塔の中に鳳凰石に刻んだ雪山の釈迦像は、修業中、乏しい穀物ばかりをとっていたために痩せたお姿である。爪石・雷杖(石器)などがあるなかで、蓬華石というのは、ふきのとうでも化石したようだ。礱(すり臼)がある。また、西王母の桃の核だといって出して見せてくれた。安倍貞任の所持した軍配扇もあるが、ずいぶん古びている。この寺の庭の隅に大鐘がかけてある。刻文に「康安2年(1362)6月朔日」とあって、400年余の昔が偲ばれた。』
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歓喜天堂…『歓喜天は仏教の守護神で形像は象頭人身の単身と双身がある。ここの御神体は双身で男女和合の姿を表し縁結び、夫婦和合、子宝、商売繁昌の神としての信仰が厚い。』
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歓喜天堂の周辺が別当光飯寺跡地で苔生した礎石だけが遺されています。
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男鹿の旧家目黒家の奉祀によるもので、夫婦和合、福徳円満等の信仰を集めます。御神体の歓喜天は男女和合の双身像。
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光飯寺の前庭にあたる場所にある榧の巨木(県指定天然記念物)。
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慈覚大師の手植えと伝え、樹齢千年余り。
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『光飯寺 慈覚大師手植の榧と言ひ傳へ四方に枝張る光飯寺の跡』
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『いにしへの光飯寺の跡とめくれば樹齢千数百年の大木の榧」哀草果』
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榧の木…『所在地男鹿市北浦真山。往昔、名刹であった光飯寺の庭に、慈覚大師がお手植えされたと伝えられる樹齢千百余年の名木である。根元の周囲4メートル、樹高11メートル、枝が四方へ伸び広がり東西24メートル、南北に18メートルと鬱蒼と茂っている巨木で、真山の永い歴史の象徴といえよう。昭和29年秋田県天然記念物に指定されている。「いにしえの光飯寺の跡とめくれば樹齢千数百年の大木の榧」結城哀草果。男鹿市教育委員会』
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男鹿真山伝承館への道が続いておりました。ここで神札所方面へと戻りますが、長くなりましたので『真山神社(男鹿市)~其之参』へ続く…
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