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秋田県男鹿市北浦真山水喰沢。
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写真は一之鳥居。
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第1駐車場トイレにナマハゲ。
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男鹿国定公園「真山」案内図。
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軽装&天候不良なので全部回るのは無理そう。真山・本山は「お山」とよばれて親しまれています。修験者の行道として開かれ、江戸時代には山掛け道として庶民の登拝も盛んに行われていました。現在でもお山開き神事が行われ、春から秋にかけて登山参詣(お山かけ)に出かける多くの人で賑わいます。初心者~中級者向けのトレッキングコースにもなっているようです。
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参道入口。
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『秋田一号 縣社赤神山神社社道塔 真山二号マデ四十四間』
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灯籠一対。
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猿田茂助翁胸像。
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顕彰の碑…『翁猿田茂助明治十六年十月二十五日真山村に生る 幼少より多才にして気憶力抜群 臨時能断大衆のために労を惜しまず 特に敬神崇祖の念に厚く若くして県社真山神社責任役員に推され中核となり神社弥栄のため百年の大計樹立の原動力となる 太平洋戦争終結に伴う国政の変革で社領林の国有林編入に際し 真山神社基本財産確保のため厳しい諸情勢を克服 寝食を忘れ家庭をも犠牲にし自費をもって政府諸官に奔走 貳拾五万八千有余平方米の社有保管林を確保する 茲に現在の財産あるは皆 翁の賜である 更に翁は北浦町議会議員を四十有余年永続 その間北浦町農業組合長として先見の明をもって農業開発に想いをいたし広範囲に亙る耕地整理事業完成の他 教育委員の要職にもあり地域社会の発展に貢献せる功績大なるものあり 翁昭和三十二年三月十六日七十五歳で歿す 茲に神社崇敬の念厚き者相集い 翁不朽の遺徳を追恭して顕彰の碑を建立する 昭和五十四年七月十五日 真山神社 猿田茂助翁顕彰会(以下実行委員名等省略)』
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猿田茂助翁胸像建立協賛者芳名(昭和54念7月15日)。
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手水舎。
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「天つ日を遮ぎりて暗き境内に驚ろき仰ぐ老杉の丈」
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宝篋印塔。江戸時代中期のもので、災難除けとしての信仰があります。
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「奉納大山祇大神 創立四拾周年記念建立 昭和四拾五年九月拾貮日 真山山神講中一同」
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石灯籠一対。
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仁王門(神門)。
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神仏習合の名残りです。
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旧光飯寺の山門でしたが明治以降に神社神門となり現在に至ります。。
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仁王像。江戸時代中期に作られたもの。
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仁王門内。
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日本国有鉄道土崎工場鍛冶職場奉納(昭和45年8月)。頭に落ちて来そうでちょっと怖い。
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国鉄土崎工場検査職場奉納(昭和52年7月9日)
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男鹿真山神社縁起…『■御祭神…主祭神:天津彦火瓊瓊杵命、武甕槌命。合殿神:天照大御神、豊受大神、豊玉毘女神、少彦名神、大山咋神、大名持神、塞神三柱神。例祭日:宵宮祭7月15日、当日祭7月16日。恒例祭:歳旦祭1月1日、柴灯祭「祈年祭」1月3日、なまはげ柴灯祭2月第2金・土・日、新嘗祭11月18日、鰰祭11月中旬、除夜祭12月31日、月次祭毎月16日■由緒沿革…社伝によれば景行天皇の御代、武内宿禰が北陸地方諸国視察のため男鹿半島へ下向の折、涌出山(わきいでやま、現在の真山・本山)に登り使命達成と国土安泰・武運長久を祈願して、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀ったのが始源とされる。平安時代以降仏教の伝播が男鹿へも至り、貞観年中には慈覚大師によって涌出山を二分し、北を真山、南は本山としたと伝えられる。以来修験の信仰が昂り、天台僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合された。南北朝時代には真山別当光飯寺は真言宗に転じ、支配も東北豪族の安部氏・清原氏・藤原氏と移りながらも、その庇護のもとに修験霊場として一山繁栄を誇った。江戸時代には国内十二社に指定され、佐竹侯の祈願所として数々の寄進崇敬とともに、幾多の堂塔伽藍が営まれてきた。明治維新後は神仏分離令によって元の神域に復し、名も赤神神社から真山神社と改められた。明治14年には県社に列格され、ますます深厳な境内を維持してきた。平成3年9月、台風による烈風で多くの老杉が倒れて甚大な被害を受けるも、7年間の復興事業で境内整備が完工した。ご本殿は今なお真山山頂に鎮座し、国家安泰・五殻豊穣・海上安全・勝運の守護神として崇敬されている。■柴灯祭(せどまつり)…本社の特異神事であるこの祭りは、正月3日夕刻境内に柴灯を焚き、この火によってあぶられた大餅をお山に鎮座する神に献じその年の村内安全・五穀豊穣・大漁満足・悪疫除去を祈る祭儀である。なまはげはこの神の使者「神鬼」の化身といわれ、長治年中より行なわれてきた。また、毎年2月の第2金・土・日には「なまはげ柴灯祭り」として当神社を会場に開催される。この時神鬼に献じられる餅は護摩餅(ごまのもち)と称され、災難除去の御護符として氏子参詣者に頒賜される。厳寒の宵に斎行される神秘な神事で、冬の東北五大雪祭りの一つとして広く知られている。』
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秋田県神社庁より…『人皇第12代景行天皇の御代、武内宿祢が北陸東方諸国を巡察の際、男鹿嶋へ下向し湧出山(今の真山の旧名)へ登り瓊々芸命を勧請したのに始まる。その後裔真唯当地へ下向の砌り、祖先の由緒を尋ね、湧出山に立籠り、万草を引結びて幣帛とす。古来真山赤神神社と称す。中世以降男鹿を支配した安東氏佐竹氏の崇敬を受ける。安元年間安部季治朝臣より、社領130石を寄付せらる。明治3年真山神社と社号を改め明治14年7月5日県社に列す。』
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狛犬一対(平成10年7月15日)。
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この石造狛犬は、真山神社内陣に座す室町時代の木造狛犬を模して造ったもので、平成3年9月の台風被害による、真山神社境内復興整備事業竣工記念として奉献されました。全国神社総代会代議員会議長加藤義孝奉献。製作は南秋田郡八郎潟町齊藤壽幸。
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参道石段。
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御神木。
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石段から見た仁王門。
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山神大神。
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長くなりましたので『真山神社(男鹿市)~其之弐』に続く…
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