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青森県八戸市妙丹内。蟹沢ポンプ場に向かう三叉路を右に進むと、道は台地の縁にさしかかり、その道の右手に丹内薬師堂があります。わかりいくい場所にありますが、所々に案内看板がありました。ちなみに蟹沢ポンプ場より南方にある蟹沢水源地(松館)にはがんじゃの水(藤助の湧き水)があり、石灰岩地層から湧き出て水質も良く、夏でも冷たく、水温は年間を通して10℃前後に保たれ、八戸一といわれるほどのおいしい水らしいです(※ホロド沼の大蛇伝説にも関連します)。
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さて、八戸市妙は中世に「めう野」と呼ばれ、元和4年(1618)記録の「明村」とあるのが「妙」でないかという説もあります。
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糠部郡八戸の一つで永正年間(1504-1520)の記録では、家畜の放牧や牧草の採取のための野原が広がっており、9000匹の馬がいる糠部郡最大の牧場でした。この牧場は根城南部氏が経営していたと考えられています。江戸時代になると八戸藩の二大牧場の一つとして「妙野の牧」と呼ばれました。
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丹内薬師堂の周辺と北・西側には丹内遺跡にあたり、馬渡川の右岸、標高23-17mの丘陵地に立地。馬渡川をはさんで遺跡の南側には大茂館。平成10年の八戸南環状道路建設事業に伴った青森県教育委員会の発掘調査では、古代の集落が発見されており、飛鳥時代と奈良時代の竪穴住居跡各一棟、平安時代の竪穴住居跡四棟、土坑一基が検出されています。飛鳥時代の竪穴住居跡は一辺5mの方形と推定され、北壁には短い煙道をもつカマドが作られています。床面には炭化材が多量に残っており、焼けた住居であることが明らかです。奈良時代の竪穴住居跡は一辺3m前後の方形で、北西壁にカマドが作られています。平安時代の竪穴住居跡は東及び南東壁にカマドがあり、柱穴は壁寄りに位置するもののほか、柱穴が検出されないものもあります。奈良時代の出土遺物には、土師器杯、甕、甑、鎌、土製紡錘車等があります。飛鳥時代は七世紀中頃、奈良時代は八世紀後半の竪穴住居跡と推定。平安時代の竪穴住居跡からは九世紀代のロクロ使用の土師器坏(はじきつき)とともに、甕、須恵器甕や鉄鏃、フイゴの羽口、鉄滓、琥珀が出土。土師器には「夫」と墨書されたものもあります。
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丹内薬師堂ですが、元々は稲荷様のように水田を管理する神さまだったそうです。それがいつの間にか「丹内お薬師さま」となりました。薬師さま(薬師如来)は人間の災難を除いたり、あらゆる病気や障害を治したり寿命を延ばす仏。薬師如来に対する信仰は病気や悩みを持つ人にとっては現実的なものであり、特に病厄に取り付かれた庶民が、薬もない時代には神仏に対する祈願だけが拠り所でした。
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現在、妙字東にある傳昌寺は、以前この付近にあったそうで、丹内の薬師様は傳昌寺によって管理されていました。その薬師様は現在、移転した傳昌寺内に祀られています。
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鳥居。
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8.5
鳥居の横の立像と石殿。
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その裏に綺麗な三頭木。
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丹内薬師堂の由来…『丹内薬師堂には次の様な言い伝えがあります。昔、この近くに住んでいた侍の妻が、村の子等にいじめられている大きな白い蛇を助けたことがありました。その後まもなく、戦が始まり夫は戦に出て行きました。妻は夫の無事を祈り、毎日ここ丹内の薬師様に願掛けに通いました。やがて戦は終りましたが、夫は左眼に矢を受け大怪我をして帰ってきました。苦しむ夫の姿を見て妻は嘆き悲しみ、薬師様に必死にお願いしました。ある夜、夢枕に薬師様がお立ちになり、「私は以前お前に助けられた白蛇である。薬師堂の下から湧いている清水で夫の眼を洗いなさい。」と告げました。言われたとおりにすると、夫の眼から矢が抜け、元通り見えるようになりました。村人達は、薬師堂の周りにいる蛇の左眼がみな潰れていることに気付き、「きっと白蛇が侍の身代わりになったのだろう。」と語り伝えたということです。このことから、丹内の薬師様は眼病治癒に霊験のある仏様として信仰されています。平成21年2月吉日』
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丹内薬師堂の堂宇。明治4年の神社調によりますと、「三戸郡妙村鎮座大洗磯前神社」として祭神を大己貴命・少彦名命の二柱とし、「生石ヲ以神躰トス」とあります。この生石といわれる道祖神は、夫婦和合神で男女二体が手をつないでいる石造の御本尊です。
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向拝神額。新聞のコピーが貼ってありました(一部抜粋)。『年の瀬も押し迫ってきた。来年は巳年。蛇を好きという人は少ないだろう。地面をはいずり回る姿は気持ちの良いものではない。毒蛇もいて、うかつに近づけない。おそらく人類誕生以来、蛇は恐れられ、同時に神格化されてきたのだろう。脱皮は「死と再生」も連想させる。日本では古来、水の神だった。蛇を「み」と呼ぶのは水を「み」と呼んだ名残という。蛇と水との関係は北奥州地方の伝説からもうかがえる。有名なのは「八の太郎伝説」。仲間の分までイワナを食べた八の太郎。谷川の水を飲んで大蛇に変身する。すみかとしたのが十和田湖。後に南祖坊に敗れ、八郎潟の主になる。「沼の主とお姫様」(正部家種康著「南部昔コ」)では八太郎沼の主が大蛇。毎年、若い娘をいけにえに奪ったが、七崎のお姫様が身代わりとなって村を救う。どちらも蛇は悪者扱いだ。良い蛇の伝説が「薬師様と片目の蛇」。松館川で子供たちにいじめられていた蛇を侍の妻が助ける。後に夫が戦で左目に矢を刺す大けがをした。夢枕に立った薬師様のお告げ通りに、丹内薬師堂の清水で目を洗うとすっかり治る。不思議にも、お堂近くの蛇はみな左目がつぶれていたという。』、『根城地区とともに八戸市では最も古い歴史を持つ大館地区。昨年はふるさとの歴史を見直そう-と、新井田八幡宮を主会場に第一回新田城まつりが開催され、多彩な催しが繰り広げられた。これを機に、大館歴史・民俗の会(会長・正部家奨大館児童館長)は「ふるさと大館イラストマップ」や「大館の昔ばなし」を発行。マップにはさまざまな伝説地や神社、碑などが記されてあり、その中から伝説地を中心に正部家会長とともに歩いてみた。昔ばなしに触れながら、紹介しよう。同市妙にある丹内薬師堂は「片目の蛇」の伝説地。その昔、妙村に住んでいた侍の妻がある日、松館川のほとりで子供たちにいじめられている白い蛇を助けた。その後、戦が始まり、出掛けていった夫の無事を祈って、妻は毎日薬師さまに願を掛けた。しかし夫は左目に刺さる大けがをして帰ってきた。苦しむ夫を見て妻は悲しみ、また毎日薬師さまにお願いに行った。ある夜、夢まくらに薬師さまが立ち「私は五年前に助けられた白蛇。薬師堂の下からわいている清水で夫の目を洗いなさい」と告げた。言われたとおりにすると、夫の目からは矢が抜け、元どおり見えるようになった。しばらくして村人たちは、薬師堂の周りに住む蛇たちがみんな左目がつぶれていることに気付いた。人々は「蛇が侍の身代わりになったのだ」と語り伝えたという-。妙団地の西側、蟹沢ポンプ場に向かう通りからわき道に入り、車一台がやっと通れるような畑の中の小道を進む。鳥居をくぐると緩い下りの斜面が開け、その片隅に薬師堂が建っていた。眼下には田んぼが広がり、県道鳥谷部・十日市線が走っている。さらに少し下へ降りると、社の下から引いた細いパイプから澄んだ水が流れ出ていた。そばには「薬師堂清水」の立て札。「この水は社の下から湧いているものです」と書かれている。あの侍の妻はこの水で夫の目を洗ったのだろうか。このあたりは村が市に合併される以前から八戸の水源となっていたらしく、そのことからもこの付近の水がきれいであることが分かる。眼病にご利益がある名水として信仰を集めた薬師堂だが、周りにはその伝説を伝えるものは何もなく、今ではどれだけの人が知っていることだろう。地元の人でも見落としそうな小さな薬師堂。それでも時々訪れる人もいるのだろう。お堂の前に置かれた帳面には参拝者の名前がいくつか書かれていた。』
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「青森の伝説(森山泰太郎・北彰介)」には次のようにあります…『松館の松館川を隔てて、十日市の茶立場の殿様と、的場の殿様が戦った。的場の殿様の左の目に矢が当たって、三年三月はそのままであったが、むりに引き抜かせたら、矢は目玉といっしょに抜けた。その目を入れて、丹内薬師の沼の水ですすいだら、もとのとおりになった。それから、この沼の林にいる蛇は片目の蛇になったという。』※関連する白米城の伝説については『岡田観音堂(八戸市)』の記事を参照ください。
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その他資料「薬師さまと片目の蛇」より…『むかし、妙村に仲のよい侍夫婦が住んでいた。ある日、妻は松館川のほとりで子どもたちにいじめられている1メートルほどの白い蛇を助けた。その後、隣の国との戦が始まり、侍は家来を連れて戦に出掛けた。妻は夫の無事を祈って、毎日毎日、丹内の薬師さまに願掛けをした。戦いは終わった。この戦いで多くの侍たちが戦死したり、怪我をした。妻の願掛けがかなって夫は帰ってきた。だが、夫の左目に矢が突き刺さったままで、大怪我をしていた。妻は苦しむ夫の目から矢を抜くことが出来ず、医者を呼んで治療してもらったが治らなかった。そこで妻は、毎日毎日丹内の薬師さまに願掛けをした。ある日の夜、妻の枕元に丹内の薬師さまが立って申された。「わたしは五年前に、あなたに助けられた白蛇である。お前は信心深いので、願いをかねてあげよう。丹内薬師堂の床下から湧き出ている清水で、主人の目を洗いなさい。元の目に戻るであろう」と告げた。次の日、妻はいわれた通り、夫を丹内の薬師堂へ連れて行って、清水で左目を洗ったら矢がスーッと抜けて、目が治り元通り見えるようになった。村人は不思議なことに気付いた。薬師堂の周りにいる蛇が、みな左目がつぶれていたのである。おそらく、蛇が侍の身代わりになったのだろうといわれた。それから、丹内の薬師さまは「目の病の神さま」として信仰された。今、丹内の薬師さまは明久山傳昌寺に祀られてある。』
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薬師堂境内には山の神、六地蔵、延命地蔵等の石殿が祀られており、毎年4月8日の御縁日には、イタコが口寄せをするそうですが、現在も行われているかは不明です。
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こちらは山の神。御祭神は大山住之大神。
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賽河原地蔵尊。
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六地蔵尊像。
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恐らく山の神。
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こちらの石殿には石が祀られていますが何かはわからず。
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21.5
薬師堂の下からは現在も尽きることなく清水が湧き続けています。
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丹内薬師堂清水。
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八戸市の水道の水源となっており、現在も茶の湯、飲料水としてこの清水を求める人がいるといいます。
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確かに薬師堂の下から水が流れて来ているようです。
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石殿。
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薬師堂清水…『この水は薬師堂の社の下から湧いているものです。参拝してからいただいて下さい。薬師堂』※自然水なので熱を通して使用して下さい。
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未確認ですが井戸のようなものもありました。
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水が流れた先は水溜りになっていました。
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いっぱいになると、ここを通って更に下へと流れて行くのかな。
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周囲は木々に囲まれております。薬師堂から南側には田んぼが広がり、馬渡川を挟んで向こう側の台地には大茂館が見えます。
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丹内薬師堂清水の横にある建物は薬師湯です。
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効能がありそうですね。
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入口は塞がれていましたが。
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