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青森県八戸市大字新井田塩入。大館地区新井田から湊方面に向かう塩入の高台に鎮座。元々根城南部氏の八戸入部以前からこの地域を支配していた武部民部家の屋敷神として祀られていたものです。
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案内板「武部家と住吉神社」より…『武部家の先祖は加賀の国(石川県)の出身で前九年の役で手柄をたて、安倍一族の残党を抑えるため、源頼義の命でこの地に配されたといわれています。以来、武部家は代々当地の安泰に尽くしてきた八戸屈指の家柄であります。1334年頃までは、漁師の総元締めとして南浜から鮫浦に奉行を派遣し軍事や経済などの一切を統括していました。後に根城南部の家臣となり、櫛引八幡宮の流鏑馬の神事には遠野からの射手衆に鎧兜をつける御具足之役という栄えある役を務めていました。また、八戸には源義経の北方逃避行伝説が数多く残っていますが、武部家にも義経が家臣と共に白銀から浜街道を通り当家に逗留した際、その返礼として書き残したものといわれている「粟借り証文」が伝わっています。残念なことにその証文は長い歳月を経て今は判読できないほど破損しています。屋敷の裏山には海上の守護神である住吉神社が鎮座しています。もとは観世音菩薩で御神体は一尺六寸の金仏でしたが現在は住吉の三神を祀っています。明治初年の廃仏毀釈令により新田八幡宮に合祀されていたものを、同8年に武部家が現在地に御堂を建立し、遷座したということです。平成22年3月吉日』
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鳥居(昭和2年9月吉日・製作者:徳蔵の三男徳三郎)脇の社号標。
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高台です。
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参道石段。
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石段脇のアジサイ等。
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7.5
はじめ地元の武部家の屋敷神でしたが、ご利益があるとのことで地域の神さまとして祀るようになりました。武部家は義経と関わりがあったと伝えられる旧家で、むかし源義経が粟を借りたという借用証文が残されていたそうです。明治8年にそれまで新田八幡宮に合祀されていた御神体と棟札を二間に三間の御堂を建てて遷座。境内には銀杏の古木が聳え、歴史をうかがわせます。
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塩入住吉神社には観音様も祀られており、御縁日は観音様の日の17日。例大祭は8月6日。表筒男命・中筒男命・底筒男命を祀る住吉の神は大阪住吉大社を本社とし、漁業の神様として信仰されています。
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また、塩入住吉神社には二対四体のオシラサマが合祀され、「かん子観音像」も納められているそうです。かん子については『かん子稲荷神社(岩淵かん子之碑)』の記事を参照下さい。かん子観音像は昭和3年に武部徳蔵が納めたもので、その時に奉納された棟札によりますと、かん子は慶長10年に亡くなったということが書かれています。
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狛犬一対(昭和2年旧9月武部仁兵衛、武部福四郎奉納、石工林孫太郎)。
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11.5
石灯篭一対(昭和2年旧9月)。
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12.5
手水石
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昭和2年8月吉日、武部徳三郎。
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社殿(御堂)。
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拝殿向拝神額(昭和2年旧9月17日、塩入武部徳藏)。
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幣殿・本殿覆屋。
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拝殿内。
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境内社の山ノ神(昭和51年旧12月17日)。
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境内社の稲荷社。
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社殿脇に道がありました。少しだけ歩いてみましたが特に何もありませんでした。たぶん。
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境内からの眺望。
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