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青森県八戸市大字新井田岩淵。正一位かん子稲荷神社。
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八戸セメント株式会社向かいの高台に鎮座する岩淵かん子稲荷堂(かん子稲荷神社)。正一位かん子稲荷神社は当時の日出セメント株式会社の従業員のカンパによって建立されたものです。
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参道入口。
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八戸の亡霊伝説として、櫛引には櫛引矢倉の断崖で殺された「矢倉のお夏」、そして新井田岩淵の「岩淵かん子」があります。
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大正10年(1921)に日出セメント工場が八戸に進出し開業しましたが、なぜか事故が続発して多くの死傷者が出ました。そこで、地元の漁師に聞いてみたところ、「それは、かん子の祟りだべ」と言いました。かん子は岩淵新山権現堂(現在の別雷神社)別当法道院の一人娘で、八戸藩士の某家へ嫁いでいました。ところが、夫が他に好きな女性ができたため、妻のかん子を亡き者にしようと図りました。かん子は子どもを背負い、川で洗濯しているところを、夫に突き落とされました。さらに溺死した母子は銀杏の根元へ逆さ埋めにされたため、かん子の恨みは深く幽霊となって現れるようになりました。その後、夫がどうなったかは定かではありませんが、明和5年4月1日条「八戸藩御勘定所日記」には、法道院の娘が水死し、沼館であがったと記されています。また、かん子の人魂(火の玉)が現れる夜は海が荒れるといわれ、漁師たちの天気情報代わりにもなったといいます。この話を聞いてセメント工場の工員たちは、高台の大銀杏の根元に、供養碑とかん子稲荷神社を建立して霊をなぐさめました。それ以後、事故や怪異現象は起こらなくなったといいます。
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八戸セメント株式会社の前身は、大正7年2月設立、大正10年6月に操業開始した日出セメント株式会社湊工場ですが、資料によっては、セメント会社で事故が相次いだことがかん子の祟りとされ、当時の日出セメント株式会社の従業員のカンパにより、大正8年にかん子稲荷神社と石碑を建立したともあり、建立年が少し異なります。また、「継母に殺されたかん子が、嵐の夜に幽霊となって災いを及ぼすようになり、かん子の人魂が現れる夜には海も荒れることから、大銀杏の根元に供養碑を建立したところ、それ以来、事故や異常現象は見られなくなった」ともあり、内容も多少異なります。
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ちなみに昭和3年に塩入の住吉神社に武部徳蔵が「かん子観音像」を納めていますが、その時奉納された棟札によりますと、かん子は慶長10年に亡くなったということが書かれています。
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「青森の伝説(森山泰太郎・北彰介)」には次のようにあります…『新井田川をさかのぼった大館の塩入に、カン子の宮というのがある。昔、ここに住むカン子という美女に、多くの男たちが言い寄った。しかしカン子が心をよせる男はただひとりだけだったので、相手にされぬ男たちは彼女を捕えて、新井田川に生き埋めにしてしまった。それからというものは、そこからよく火の玉が飛ぶので、村人は「カン子が出た」といって恐れた。後年、ここに磐城セメント会社の工場が建ったとき、ここにお宮を建てて、カン子の霊をとむらった。』
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拝殿入口付近に石碑(供養塔)が建立されています。
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石碑の高さは約120cmの角塔墓型碑。
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正面に「霊神岩淵かん子之碑」と刻まれています。
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側面及び裏面は何も刻まれていない、もしくは読み取れない状態です。
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拝殿内。
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残念ながら結構荒れた状態でした。
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15.5
本殿。
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現在はあまり参拝者が来ないのでしょうか。もしくは昭和3年時点ですぐ北方の稲荷神社に遷座されたということなのかな。
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社殿の後方に道が続いていました。少しだけ上ったところにお墓がありましたが、墓域は関係者以外立入禁止でした。
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後方から見下ろしたかん子稲荷神社の社殿。本殿が傾いています。
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