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青森県八戸市大字新井田林ノ上。
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私が持っている地図では別雷神社のすぐ北方に「正一位かん子稲荷神社」と記されておりますが、当稲荷神社については記されていません。正一位かん子稲荷神社は当稲荷神社と別雷神社の間にひっそりと鎮座しております。なお、正一位かん子稲荷神社は当時の日出セメント株式会社の従業員のカンパによって建立されたものです。
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ここの神社も八戸セメント株式会社の社有地かと思います。かつての磐城セメント神社。八戸市史の「セメントのオサカリ」という項に次のように書かれています。『八戸セメントで崇敬している稲荷神社が、新井田から湊方面に向かう岩淵の小高い丘に鎮座している。工場東側の広い境内には真新しい朱色の鳥居も聳え、大切に祀られていることがよくわかる。毎年、新暦の六月一日が例大祭で、前夜祭の五月三十一日から柳町と工場との間の沿道には、出店が建ち並び、境内では歌や踊りの演芸会や相撲大会などが催され、地域の人々はもちろんのこと、白銀や小中野など近隣から大勢の人々が訪れて、とても賑やかであった。この日は子供たちにとっても楽しみな一日であった。ところが、セメント会社と地域の深いつながりも、時代が経るごとにだんだんと薄れてきて、祭りは昭和三十四年を最後に途切れてしまった。それでも会社では、事業隆昌を願い大切に祀っている。新暦で執り行なっていたオサカリであったが、だいたい虚空蔵さん寺下観音のオサカリと同じ頃であった。』※オサカリ=御縁日
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参道階段途中の狐一対
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昭和62年8月建立。
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高台です。
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高台の上は開けています。
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二之鳥居。
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その手前に手洗鉢。
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石灯籠一対は崩れています。
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参道。
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三之鳥居。
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狛犬一対。
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昭和62年8月建立。階段途中にあった狐と同じ紀年銘。
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拝殿。
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拝殿じゃなく本殿覆屋ですね。
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本殿。蟇股に金の狐。金華山の木札も見えました。
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本殿前から参道を振り返ると鳥居の向こうに八戸セメント株式会社のNSPタワー。
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横から見た本殿覆屋。
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小祠。何かはわからず。
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こちらの石碑(昭和3年10月5日建立)を読めば神社の由緒が多少見えてきます。工場の守護の為に勧請された稲荷大神です。
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『爲工場守護勸請稲荷大神見堂宇之竣成茲有志相謀獻納石燈籠一對稲荷眷屬一對手洗鉢一個本殿拝殿張幕以致崇敬之誠』※奉納人名は省略
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殉職者追悼之碑(岩崎清七書)。
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岩崎清七は磐城セメント(住友大阪セメント)創業者。
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広い境内。
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高台に鎮座する神社境内の木々より高い八戸セメント株式会社のNSP(ニューサスペンションプレヒーター)タワー。市街地からも見えるこのNSPキルンは八戸のランドマークの一つとなっています。夜にはライトアップされ、クリスマスにはイルミネーションが灯り、平成22年八戸市景観賞(まちなみ空間部門)を受賞。ちなみに藩政期の柳町は船宿があった場所ですが、現在八戸セメント株式会社がある河岸部は下鷹待場という住所であることから、かつてどのような地であったかがわかります(※新井田川の逆の高台には鷹待場の住所も残されています)。
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八戸セメント株式会社の前身は、大正7年2月設立、大正10年6月に操業開始した日出セメント株式会社湊工場です。5月29日の開業披露式は盛大で、工場入口には大きな門が設けられ、煙突から四方に万国旗が張り渡されました。更にこの開業式のために作られた日の出踊りが小中野の芸者により披露されたといいます。湊村に進出した理由は、旧大館村松館から採掘される良質で豊富な石灰岩と、移出が容易な港湾に近いからです。また、明治44年に開業した八戸水力発電所の安定した電力供給も要因となりました。二千坪の巨大工場は湊村と大館村にまたがる二万坪余りの敷地に建設され、原料の石灰石は地元資本の東北名石会社からトロッコで供給されました。製品はセメントとその関連物品で、小中野村にあった湊駅から積み出されていました。セメントは原料の石灰石と粘土等を混ぜて粉砕し、ロータリーキルンと呼ばれる回転窯で焼成した後、石膏などを添加して更に粉砕して製品化されます。八戸にとって日出セメントは初めての大型近代工場で、工業都市八戸のさきがけとなったもです。大正14年3月、第一次世界大戦景気によるセメント需要の高まりに合わせ、磐城セメントと合併し、磐城セメント湊工場となりました。翌15年7月11日、湊地区の陸奥湊駅が開業し、昭和3年の貨物の取扱い開始と共に専用の引込線が敷設され、大量の積み出しが可能となります。当時は1日に1万5千トンが製造されたそうです。最高生産量は3万3千トンで全国4位の記録が残されています。
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昭和38年に住友セメント株式会社と社名変更。同52年に八戸セメント株式会社が設立され、住友セメントから分離して営業開始。同61年11月に陸奥湊駅の駅車扱い貨物の営業廃止にともない、八戸セメント専用線が廃止。線路跡は一般道となり、一部は小公園となっています。平成6年に住友セメントと大阪セメントが合併した住友大阪セメント株式会社の生産受託会社として営業開始。八戸工場のロータリーキルンは直径4.7m、全長75mで独自技術による余熱利用をするNSPキルンの高さは76mに達します。原料の石灰石は、はじめ馬に引かせたトロッコで松館から運んでいました。やがてディーゼル機関車が導入。大正10年から昭和48年まで、約7km間を運行したトロッコと機関車は約400万kmを走行したといわれます。その軌道跡の一部は後にサイクリングロードとなりました。現在は住金鉱業株式会社八戸鉱業所から伸びる延長約7kmの、地下を通るベルトコンベアで工場に直接搬入。平成15年には岩手県県境に不法投棄された廃棄物の処理にも貢献。平成16年3月には高炉セメントB種が青森県リサイクル製品認定制度の認定を受けました。
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