1
青森県むつ市大畑町大赤川。近くには特別養護老人ホーム 延寿園があります。赤川正八幡宮参道の登り小路の右脇には金勢神(男根・女陰の大石)があり、安産の神として信仰されています。かつての大畑村枝村赤川村であり、赤川(垢川とも書く)には安宅氏の館跡が残りますが、同氏は南朝の遺臣といわれ、元和年間盛岡藩田名部代官所に仕えました。
2
鳥居をくぐってすぐ左に境内社があります。稲荷社(稲荷大明神)です。
3
棟札表に「奉再建正一位稲荷大明神一宇成就收、当國大守公、武運長久、御代官南部廣志、大川平右衛門、哀愁衆生者我等今敬禮、下役御役所、悪摩降、祈武運長久、御地頭、山本武治郎、武運長久、別当日光院法印、大畑宿老六左エ門、庄助、検断、時治郎、源右エ門」、裏面に「干時嘉永丑子年六月吉辰日」とあり、他にも護札がありますが風触して書写は見えず。昭和62年10月吉辰日に神社として新築、額に正一位稲荷大明神の銘、沢口文一、秋義と記されています。漁と子孫繁栄を願っての神として毎年7月9日に祭っているそうで、また正八幡宮祭礼日の10月14日・15日にも村の守護神として祭っています。古い石の祠堂もあるとのことですが、社殿内は見ることが叶わず、それが社殿内にあるのか、下記の石祠なのかはわからず。石の祠堂は嘉永年間より以前に勧請されたものと推定されています。
4
神社入口付近、稲荷社脇の石祠。
5
赤川は鎮守府将軍源頼義の鬼退治の伝説を残します。ちぢり浜は血散り浜ともいわれ、頼義軍が鬼退治のあとに返り血や刀の血糊を洗い流し、川の水が真っ赤に染まったことからつけられたと伝えます。ちぢり浜には弁慶の踏ん張り岩などもあり、中世伝説を色濃く残す場所となっています。菅江真澄の「牧の冬枯」に『赤川という里は山川の水が赤かった。むかし源頼義が、ちぢりの岩屋にこもって、尻屋の鬼(尻屋崎のホロベに隠れた蝦夷)を射たててこれを斬り伏せなさったとき、従っていた兵らが血にそまった太刀を洗ってから血川というようになった。今は赤川とよんでいるが、その理由はまそ(アカソ)のように朱色であるからという。水渋によってひどく赤くにごった流れだからである。木野部というのも、むかしは鬼の府と書いたのだがと、年老いた人がおしえてくれた。』とあります。※水渋=水酸化鉄
6
狛犬一対(大正14年11月15日)。
7
7.5
灯篭・手水石各一対。
8
8.5
御祭神は応神天皇(誉田別命)。天正2年(1574)勧請。
9
万治2年(1660)再建。延宝2年(1752)書類焼失。明和7年(1771)3月再建。寛政10年(1798)3月再建。嘉永元年(1848)11月再建。慶応2年(1866)6月再建。
10
明治の神仏分離令により仏体が取り除かれ、同6年5月に二枚橋村の西宮神社に合祀されるも、氏子の願いにより同7年1月に復社。同10年2月村社。昭和26年1月25日宗教法人八幡宮となり現在に至ります。
11
赤川八幡宮の由来…『【祭神】誉田別命(応神天皇)【例祭】10月14日・15日【由来】天正二年(1574)勧請ととあり、町では最も古く創建された神社であり、綴り浜の後方断崖の上に小祠を建てたと言われ、「綴崎八幡宮」とも呼ばれていた。小祠は、万治二年(1660)に再建、延宝2年(1752)に火災により焼失し、明和7年(1771)に現在地に本殿を再建した。明治17年正月の守護札には、大己貴神(大国主神)と少名毘古那命を合祀したとの記述があり、さらに大正14年には、奉上棟大元尊家門繁栄守護所、五常龍神罔象女神とあり、「家を支えているのは棟(大黒柱)であり、家族子孫が栄える元である。」と記されている。男水神と女水神を奉載して家門が繁栄するよう祈願した神社でもある。現在の社殿は、昭和60年10月14日に大改築されたものである。大畑町教育委員会』
12
眺望。
13
大間鉄道アーチ橋の遺構が見えました。
14
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ