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秋田県男鹿市北浦相川神田。県道55号(入道崎寒風山線)から小増川沿いを日本海側へ北上。大増川と小増川の間に位置し、天然の濠となっております。
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別名三品館。山城。遺構は曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)。
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稲荷大明神。「奉納 家内安全 交通安全」とあります。
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比較的新しいものです。写真が納められていました。
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染川城は南北朝の頃(1342~1345年)、安部(安東)兼李が居城したと伝えられ、真澄が「むかしいかなる君がすめりし城とて城長根という処あり」とするのは恐らくこの染川城。大増川、小増川の二つの川を掘に利用し天然の要塞といわれてました。
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菅江真澄の道(染川城跡)…『「館というところは、安倍の兼季が康永(1342-45、北朝)のころ、こもった柵の跡であるといわれ、海に臨んで高い。」「文化七年(1810)四月十六日、北浦をたち、染川城跡を見る。」(男鹿の春風)』
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『いわゆる染川城の沿海部分は地震、波浪で崩落・浸食され、原形を留めず、復原は困難だが、南西に礫石を含む幅6m、高さ1.5mの土塁を構築、南に幅10m、深さ6mの空堀をうがって方形主郭相当部を独立させる。北西沿岸にのびる鞍部を幅10m、6m、2本の空堀で断つ。主郭部の東に大小2条の空堀と郭2個が存し、主郭南端、小増川沿いに1段の帯郭を伴う。大増川西方へ岩石段丘及び丘陵面は開田工事でほとんど旧観をしのぶべくもないが、相川漁港へ通ずる道路北側にわずかに土塁、空堀の痕跡をとどめ、本城館の規模を伝えている。西方段丘面より蔵骨器(今亡)、珠洲陶片、相川部落内に中世五輪塔がある。五里合箱井耕岳院は天正年中、本城域内にあったといわる。北浦日枝神社の康永3年、安倍兼季建立の棟札(今亡)、男鹿中山田の康永4年在銘板碑の存在から秋田安東氏草創期の城館とする説もあるが確証はない。なお東日流外三郡誌は染川城を「三品館」と称し、大館、中館、小館、船館を図示、鹿嶋神社の存在を伝える。』
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石碑がありました。お題目です。
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「南無妙法連華経城跡供養塔」「本門八品」「上行所伝」を刻みます。城跡に関するものです。
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裏面には「昭和丗五年三月十七日相川法華講中」と刻みます。
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すぐそこ(北方)が日本海なので波の音と風の音は激しく聞こえるのですが、眺望はあまりありません。
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南側の眺望。
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