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青森県上北郡六戸町犬落瀬明土。六戸小学校裏手の丘の上に鎮座。
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犬落瀬集落の産土様。明治18年、舘野に熊野神社を創建した際に鳥居を移してやるなど、犬落瀬集落発生の地は当熊野神社元宮であるといって過言ではありません。
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承和3年に笹野尚盛が来村し、承和11年に伊弉諾・伊弉冉の2神を御祭神として創建したと伝えます。正保3年の火災にて、御神体の伊弉諾・伊弉冉を始めとし、すべての史料等を失ってしまいましたが、多くの伝説を残して現在も鎮座しています。宝暦年間に盛岡藩が作成した「御領分社堂五」には六戸の神社として唯一この一社のみが記されており、(「犬落瀬村一熊野堂四尺四面板葺与十郎」)いかに六戸町で重要な神社であるかがわかります。
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入母屋造りの社殿は三殿から構成されており、拝殿が間口4間に奥行4間、幣殿は2間に1間半、本殿は1間に1間半と本格的な社殿となっています。
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昭和11年に2間4方の茅葺屋根の社殿建立し、昭和42年の増改築にて今日の姿になりました。大祭は旧暦3月16日・旧暦9月16日。
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6.4
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鳥居扁額・社殿・拝殿内神額はいずれも「熊野大権現」としており、昭和21年5月杉山円次郎寄贈、昭和28年9月5日押込の佐藤市太郎寄贈の献額となっております。
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本殿には権現頭・鰐口・鎗先・鏡・法螺貝・刀剣・カネノウが納められています。カネノウ(願主苫米地多平)には萬延2年酉3月16日の紀年銘があります。御神体の権現様は伝説によりますと、明治の中頃に飛騨国から来た彫師が菩薩様のお告げによって三体の権現様を彫刻し、1体を三沢市の根井熊野神社に、1体を堀切の本家に、そしてもう1体を飛騨国へ持ち帰ったといいます。堀切の本家の権現様は祭りごとができずに粗末になるということから折茂の護摩堂に祀っていましたが、大火があって御堂が焼失するも、権現様は犬落瀬熊野神社元宮へ飛来したと伝えます。よって根井の権現様とは姉妹であり、熊野神社元宮が姉貴分であるといいます。
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狛犬一対(昭和8年自3月3日至仝24日)。
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元宮建築紀念碑。
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手水石(大正7年3月16日)。
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小祠。裏のゴミの山が気になります。
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小祠内。少し変わった形の石が祀られています。
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より小さい方の祠内は大黒様だらけです。
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記念碑…『本神社は伊弉諾伊弉冉の二神を祭神とし熊野大権現と稱す 征夷大將軍坂上田村麻呂蝦夷征伐の際民生安定を祈願し延暦二十三年祠を建立せしが始なりと謂う 爾来八百有余年の永きに亘り崇拝し耒たるも正保三年火災に遭い社殿余神及び一切の書類を烏有に歸す 明る正保四年社殿を再建御神體を彫刻安置し熊野大権現として祭せり 明治五年神佛仕分の際廃社となりたるも同十三年舘野に社殿を新築し熊野神社として遷座せり 其の跡に祠建立しありしも昭和十一年の増改築に次ぎこの度犬落瀬部落有財産淋代谷地を賣却し代金の一部を以て更に増改築す 茲に其の落成を記念し本碑を建立するものなり 昭和四十二年七月三十一日田中彰一謹書』
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