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高山神社(八戸市南郷)』からの続きです。
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御大典記念植樹。
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島守四十八社「金精様」(金勢大明神)。岩手県盛岡市の巻掘神社分霊社。昭和58年4月27日の山林大火災においても無事でした。
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看板には「坂の上田村麻呂」とだけ説明があります。
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扁額「金勢神社」。
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金精様。大小たくさんありました。
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天満宮。
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菅公像が祀られております。
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手洗石(寛政7乙卯年4月吉日、施主中村氏)。
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御手洗所。
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手洗石。
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「御手洗所 納主境藤惣吉、野崎清一郎 昭和53年4月20日建立」※建立協力者名省略
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「旧手洗水舎は昭和58年4月27日の山林大火災によって焼失したので再建したものである。昭和59年5月3日高山神社災害復興建築期成同盟会」
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弘法大師。
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台座「空海の心のうちにさく花は弥陀よりほかにしる人はなし」。手前に石が奉納されており、その台座の紀年銘は昭和54年旧8月21日(弘法大師建立同志會)。
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薬師神社(薬師堂)。
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薬師堂内。神鏡や石などが奉納されており、2枚の棟札には「大己貴命 少彦名命 大洗儀前神社」、裏面「昭和61年5月25日 家内安全無病息災祈 昭和58年4月27日山林大火に依り累焼し」・「大洗儀前神社」、裏面「祭神少名彦大神 昭和58年5月17日 高山神社末社」とあります。やはり昭和58年4月27日の山林大火による延焼について書かれており、いずれも再建時の棟札かと思われます。
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高山稲荷。
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台座が賽銭箱になっています。
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庚申塔(平成5年5月17日)。
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村社本殿建築及社地取廣員入費寄附人名碑(大正9年2月10日)。
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高山神社災害復興建築記念碑…『当神社の祭神は伊邪那岐大神伊邪那美大神を祭り天保五年三月建立しその後明治初年神仏混淆禁止令により島守村社として四十八社の神々を相殿として合祀し村の氏神様として村民の信仰を集め大正四年七月改築し隆盛を極めて参りましたがが昭和五十八年四月二十七日発生の山林大火災によって焼失したことにより神社災害復興建築期成同盟会を組織し茲に関係各位の絶大なる御協力と多額の御寄附を賜わり完成を見るに至りました。一、起工昭和五十八年七月二日 一、竣工昭和五十九年五月三日 一、総事業費弐千六百八拾六萬五千円(※以下寄附者名及び金額は省略)』
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石灯籠一対(文化10年3月吉日)。
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本堂。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。春祭6月第1日曜日、例祭日8月17日。
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糠部三十三観音第四番札所高山観世音として信仰を集めましたが、明治初年に観音様は高松寺に移されて、旧新山神社が高山神社と改名、村社となります。島守神明社、春日神社、天満宮などの神々を合祀し、家内安全、学業、諸願成就の神として信仰を集めました。大正4年の改築の後、昭和58年の山林火災で焼失するも翌年には復興。現在の観音様は新たに建立されたものです。高松寺にある古い棟札によりますと、元文元年に観音堂が修復され、天保5年に堂が建立されたといわれています。
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26.4
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蟇股・木鼻。
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向拝。
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向拝神額(昭和58年12月吉日・松石芳松)。神明社・春日神社・天満宮・宇氣母智神・大歳神社・金勢神社・八幡宮も彫られていました。
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蟇股裏側と手鋏・虹梁。
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拝殿内。写真がいっぱいありました。上記でも述べたように高山の観音さまは明治初年の廃仏毀釈により、龍興山神社の福一満虚空蔵菩薩とともに高松寺本堂に移安されています。高さ60cmの木彫聖観音立像で厨子に納められています。地元の信心深い者が精魂込めて刻んだ素人の作仏で、1本の木から本尊と舟形光背が作り出されています。蓮台に立ち、細めた目を吊り上げ、宝冠に大きく太陽をあしらっています。後世になってから金箔を全身に施しています。廃仏毀釈による傷跡なのか両腕は欠損。
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前回の記事でも述べたように、やはり裏参道があるようですね。※車で来れるそうです
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こちらの建物はわからず。
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忠魂碑(陸軍大将一戸兵衛書)。
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戦病死者碑(昭和3年9月30日建立、表面忠魂碑建立寄附者人名、裏面分會員名)。
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東屋的な建物。
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鐘楼堂跡。
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高山聖観世音像。昭和50年旧10月17日建立(髙山聖観世音像建立期成同盟会)。
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観音像の両側には、奥州糠部三十三観世音第四番御詠歌「遙々と登りて拝む高山の大悲の誓いいつもたいせず」(春日万一郎書)、「古いに霊場奥州南部糠部三十三観世音札所第四番に嶋森鄕り髙山聖観世音様が位いされ其の霊験誠に顕著なるを四衆の知る処となり競ふて霊験にあづからんと詣ずる者日に日に多きを加へ霊験を蒙りし者その霊光の普きを喜びつつ有る所明治初年に至り排仏毀釈の迷論抬頭し来たり次いで神仏混淆許さずの法令布るるに至り此の法令により下山やむなきとなり其の後当地に社を建立(いざなぎいざなみの命)を祭神とし髙山神社と命名島守村村社として隆盛をきわめて参りましたしかし乍ら時代の流れには抗し難く閑散の途をたどりつつ有りました。最近に至り参道の古木幽玄の美頂上に至りては心地よく吹く風に陶酔し島守盆地の風光明眉を一望に収める展望の地観光の地そして又六根清浄へ又御詠歌を念じ霊場に足を運ぶ人々の日増に多きを見る様になりました今ここに霊場四番札所の往昔の所在をしのび後世に伝えんとすると共に四衆の繁栄と世の平和を祈願する像として建立するものなり併せて本山のたゆまぬ隆盛を願い石段の建設を行った次第であります。髙山聖観世音像建立期成同盟会」(裏面高山聖観世音像建立期成同盟会役員名)と碑文が刻まれています。
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御寄附者芳名碑(観音像並に石段建設計画月日昭和50年2月10日 募財月日昭和50年3月-8月3日まで 工事着工昭和50年10月1日 竣工昭和51年5月5日 八戸市小中野栄町番地石材工業株式会社謹製 碑石台座寄贈)。
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こちらは不明。石灯籠の火袋に見えます。
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開伎聖観世音。
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2枚の棟札には「奉齋開伎聖観世音稜威守幸賜 家内安全 無病息災」、裏面「建主大坪繁雄 妻ツル 長男裕 平成拾壹己卯年五月三十日 鎮座祭々主 髙山神社宮司林萬治 島守字田山」・「奉齋白木観世音神影」、裏面「納主大坪繁雄 髙山神社責任役員上澤栄藏 平成拾戌寅年五月五日 入魂鎮座祭執行 高山神社宮司林萬治」とあります。
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髙山神社…『【由緒】島守の中心、集落の北西、通称観音山、標高約80m山頂に髙山聖観世音と金勢様が祀られている。古しいの棟札等によれば、元文元年(1736)四世樵店実和尚時代、現在の観音堂の再建を別当の山守り、勝門太郎とし、大工與市郎他3名により、普請されたとあります。金勢神社は岩手県の巻堀神社の御分霊を勧請した神社であります。縁結び、子寶授けの神として信仰を集めて居ます。古書によると天保5年3月(1834)大藏坊が堂を建立し伊邪那岐大神、伊邪那美大神を祭神として祀るとあります。霊場糠部三十三観音第四番札所髙山聖観世音として其の霊験誠に顕著なり此の霊験に預からんと詣ずるも日に日に多きと加へつつある所明治初年廃仏毀釈により分離され、旧新山神社が改祭され、髙山神社と改名し島守村の村社とし、四十八社の神々を合祀し家内安全、縁結び、学業、諸願成就の神として信仰を集め大正4年に改築し隆盛を極めましたが昭和58年4月の山林火災により焼失、昭和59年に復興しました。此の火災により古木建造物等皆焼しましたが金勢神社は不思議と少しも焼けた所もなく榧の木と共に以前の姿で今も立って居ります。古しいより金勢様は霊験あらたなる神として信仰を集めて居ます。大神たちの霊験にあづからんと、善男善女崇敬者たちが御利益を求めてお参りの人々で賑わって居ります。髙山聖観世音石像は昭和50年に建立し表参道の石段175段も同時に建設いたしましあt。御利益として、家内安全、縁結び、子寶授産、安産祈願、交通安全、学業成就、海上安全、豊作祈願、満願成就祈願に霊験あらたかな神であります。【祭日】祭旦祭1月1日、春祭6月第1日曜日、例祭8月17日、除夜祭12月31日』
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さて帰ります。
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帰りは女坂を通って戻りましたが、特に何もありませんでした。
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そこそこ離れた場所から見た高山神社。
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石段までしっかり見えました。
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