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龍興山神社(八戸市南郷)』からの続きです。鳥居をくぐって奥の院方面へ。
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鳥居とこちらの「島守四十八社秋葉山大権現」の看板が分かれ道の目印です。
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少しだけ歩くと大きな岩肌が見えてきます。
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その麓に鎮座している秋葉神社。
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島守四十八社。火の神様を祀ります。
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「奉納秋葉不動明王 松村長一郎・マツヱ」という看板もありました。
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小祠。
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不動明王像が祀られております。棟札2枚には「奉納秋葉山不動大神鎮座 昭和50年5月5日 トタン屋 大工 龍興山神社宮司 寄進者南郷村大字島守字門前(以下5名の名は省略)」、「奉火産之大神鎮座 昭和22年旧4月13日 宮司石橋芳藏」とあります。
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秋葉神社を後にして、更に先へと進みます。道が細いので気を付けてください。
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奥の院です。何とか鳥居と奥の院を写真に収めていますが…
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鳥居の先は…
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このような崖です。気を付けてください。超高所恐怖症の私にしては頑張ったと思います。
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ほぼ真下に虚空蔵吊り橋が見えますね。近くには水辺の楽校公園があり、水車小屋(虚空蔵水車)もあの辺りにあります。
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奥の院。
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小祠が2基。
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大きい方には石製の権現様(獅子頭)。棟札もありますがよく見えませんでした。たぶん「維持明治…」の一桁年。
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小さい方にも石製の権現様(獅子頭)。ちょっと朱色っぽいですね。
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ってことで再び岡谷稲荷や成田不動の付近まで戻ってきました。ここからは男坂と女坂に分かれます。
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女坂は手すりがあり…
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社殿の裏側へ着きます。
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こちらは男坂。
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「危険注意」の看板もあります。
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男坂はかなり急勾配のためおすすめしません。
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道中は鉄鎖にしがみついて登ります。
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鉄鎖ゾーンを抜けてもかなりの急勾配が続きます。
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26.4
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道も決して広くないので気を付けてください。
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男坂は社殿正面へ着きます。
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龍興山神社社殿。由緒等については『福一満虚空蔵菩薩堂(八戸市南郷)』の記事を参照ください。
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29.5
立派な龍の蟇股と木鼻。
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30.5
蟇股の裏側。
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彫刻師:三戸郡島守村門前、川畑留吉、号吉正。昭和10年健彫。
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海老虹梁、手鋏。
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手鋏がかっこいいですね。
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34.5
拝殿向拝神額「龍興山」。
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脇障子。龍虎図ですね。
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36.5
社殿の周囲には十二支の彫刻。
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37.2
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社殿の周囲はこのような感じなので、十二支を見る時は足元に気を付けてくださいね。
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御神木。
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ちなみに眺望はあまりありません。
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手水石。
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御庭石奉納碑。
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奉納碑。
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43.5
石灯籠(家運長久、天保5甲午年4月15日)。
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平重盛之像。
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台座碑文…『この平重盛公は、昭和41年に観光協会が赤穂土橋の袂に建立したコンクリート造りの大鳥居が、平成12年新井田川河川災害復旧工事に伴い、撤去しなければならなくなり、鳥居の替わりに南郷村観光協会が建立する。平成16年6月吉日建立。南郷村観光協会会長松村長一郎。龍興山神社宮司林萬治。施工者有限会社田中石材』
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小祠。
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呑香稲荷。
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社殿案内板「龍興山神社縁起」より…『人皇第八十代高倉天皇の御代治承元年3月平重盛公父清盛の不忠を諫めたが聞入られず秘かに京都を去り自らの余生を送るべく最適の地を求めて奥州陸奥の國島森の郷に耒たりて兜の前立てに隠し持耒たる。常日頃拝奉る虚空藏菩薩を浅田山の山頂に祀ったのが創始とされております。元禄5年八戸南部二代藩主南部大守直政公の武運長久祈願所に指定され御本尊の虚空藏菩薩一躰が髙松寺を通して寄進された旨古文書に見られる。時代は降りて明治の御代に神佛分離令が発せられ古代よりの虚空藏菩薩堂を龍興山神社と改稱し豊玉彦命を祀り現代に至っております。五穀豊穣、風雨順時、家内安全、交通安全、受験合格、心願成就等、又日本書紀、神話海幸彦、山幸彦の命の項に出てくる綿津見神の神格を有する神なれば海上安全、大漁満足等、更に豊玉彦神の姫神、豊玉姫命と彦火火出命を以て妻(めあわ)せ奉るとの宣言から結婚成就の祈願に特にも霊験あらたかな神であります。例祭日は毎年6月第一土曜日が前夜祭、翌日の日曜日は例大祭です。善男善女の崇敬者等が遠近を問わず御利益を求めて神山の麓から頂上社殿まで蟻集し列を成して登拝する様は誠に壮観であります。大神様の御加護のもと益々の御健勝と御夛幸御祈り申し上げます。龍興山神社』
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