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青森県弘前市大字小沢井沢。
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弘前高校野球部練習場。昭和50年1月27日に完成(15,582㎡)。
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弘前高校の名校長(第22代校長、昭和43年4月-昭和47年3月)として知られる故小田桐孫一(1911-82)先生が野球部員に繰り返し説いた精神「不敗」を刻む記念碑が令和2年7月15日に設置されました。
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昭和46年3月の選抜高校野球大会に初出場してから来年(令和3年)で50年となるのを前に、同部OB「鷹揚会」が寄付で賄い制作。新型コロナウイルスの影響で遠征ができない部員たちへのエールを込めたといいます。「不敗」の2文字はかつて弘前高校鏡ケ丘同窓会長を務めた医師の鳴海康安氏の揮毫ですが、残念ながら7月にお亡くなりになり、除幕式への参加は叶いませんでした。
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弘前高校甲子園出場50周年記念碑。
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碑文…青森県立弘前高等学校昭和46年第43回全国選抜高校野球大会甲子園球場出場50周年記念碑「不敗」。『不敗』小田桐孫一先生訓。甲子園大会予選も間近に迫ったある夏の夜。激励のため合宿に押し掛けた我々OBは、口を揃えて必勝を期すよう声援を送った。最後に小田桐孫一先生が、『必勝の信念』それは勿論大切である。しかし、勝負においては『不敗(まけない)』という根性(たましい)がより大切なことを忘れてはならない。と激励会をしめくくられた。以来私は、若い人たちを送り出すとき、「負けるなよ」と一声かけるようにしている。康安
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当時の弘前高校校長が小田桐孫一先生、そして野球部監督が水木厚美氏。現在の部員は13人ですが、奇しくも甲子園出場時の部員数も13人だったそうです。当時の1回戦の相手は沖縄の普天間高校。本土復帰を翌年に控えており、スタンドからは普天間ナインに大声援が送られました。水木氏は「そんな中でも、部員たちは力まず、のびのびとプレーしていましたよ」と語ります。2対2の同点で迎えた9回裏に、三遊間を抜けるサヨナラ打を許して、弘前高校の初の甲子園は幕を閉じました。
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裏面。
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裏面碑文…第43回全国選抜高校野球大会甲子園球場(昭和46年3月27日)。試合一回戦対普天間高校(沖縄)。弘前高校2-3×普天間高校。校長:小田桐孫一、監督:水木厚美、部長:中村順一、投手:坂本修、捕手:山本一利、一塁:三浦朗、二塁:日沼和男、三塁:佐藤悟、遊撃:佐々木淳、左翼:山田健治、中堅:成田美津規、右翼:三浦彰、内野:岩崎良夫、外野:佐藤浩、内野:三上信久、外野:古川鉄美、外野:小林健人。
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記念碑の横にある石。座禅石。
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台座にあるこの矢印は甲子園球場の方向を示しており、野球部員たちの道標となっています。
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その他台座より「石材提供:柏木農業高等学校、加工施工:有限会社大湯石材店、2020年7月建立」
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向こうに見えるのは飢渇坂。残念ながらこの日は岩木山は見えませんでした。
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