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青森県平川市広船福田。福田の石敢當は広船部落の北端、尾崎からの旧道沿いに安置。標柱もありますし、道沿いなので金森山の石敢當とは違い、比較的簡単に見つけることができます。
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石敢當(いしがんとう、いしがんどう、せきかんとう、せっかんとう)は、丁字路の突き当りや三叉路、十字路、曲がり角、門や橋等に設けられる魔除けの石碑や石標です。石敢当、泰山石敢當、石散當等と刻まれているものもあります。中国伝来の風習・民俗(悪魔除け。唐代およそ1300年前)で福建省が発祥。昔中国に大力無双の石敢當という人物がいて、何者も敵することができなかったという故事によります。台湾・香港・シンガポール等の一部の地域にも存在し、日本国内では主に日本南部(沖縄県や鹿児島県)に多く分布しており、中国の故事と日本の巨石信仰(邪悪を払う霊力及び呪力)と結びついて江戸中期以後に発展した信仰です。信仰行事として当時どのようなことが行われていたかは不明。大分県臼杵市畳屋町には天正3年(1575)に建立されたとされる日本最古の石敢當がありますが、何度か建て替えられており、現存するものは明治10年(1877)建立と考えられています。刻銘から建立年が明らかなものの中では、鹿児島県志布志市にある元和2年(1616)のものが最も古いとされているようです。
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なお、石敢當は近畿以北では珍しいもので、かつては秋田県の鷹ノ巣の石敢當が北限とされていましたが、恐らく広船にある2基の石敢當もしくは弘前市の石敢當(現在黒石市温湯の薬師寺門前に安置。大正初期に新寺町の慈雲院から移したものとされています。)が北限。
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尾崎境の石敢當はかつての水田基盤整備事業によって一時所在不明となり、後に無事発見されたそうです。
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高さ約70㎝、幅約30cm、厚さ約30cm。崩れていてわかりにくいのですが三角三面の長方形だったようです。
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6.5
紀年銘はありませんが建立者名として「外川」の名が刻まれています(下部折損)。
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広船金森山の石敢當と同じく広船村外川家8代目外川庸孝の建立と考えられます。外川庸孝は広船の豪農外川家八代目を継いだ人で、天保元年生まれであり、幕末か明治初年に建立したものと推測されます(石敢當は紀年銘のあるものが少なく建立年が推測できるものは珍しいといいます)。
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標柱「平川市指定文化財石敢當」より…『この石は、広船村外川家の八代目にあたる外川庸孝が中国の故事に因んで、村の安穏を祈り建立したもので、津軽においては稀有の石造物である。石敢當は、広船金森山中腹にも一基建立されている。』
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