『広船神社(平川市)』からの続きです。

五輪塔。
日露戦後記念碑(陸軍大将従二位勲一等功三級子爵児玉源太郎)。

除厄記念碑(62歳・42歳・33歳、昭和49年7月17日)。

令和元年7月に33年ぶり(昭和61年以来)の御開帳だった広船観音堂。
津軽二十八番霊場千手観世音菩薩(昭和48年7月12日)。

広船観音堂縁起記…『広舩千手観世音菩薩は、大同二年に坂上田村磨が一寺を創建して安置したといわれ、一時衰頽したが「世の崇敬もありて感応も響くがごとき」尊仏とて、正長元年に村民が再興した。明治元年、神仏分離令が発せられて観音堂が廃止されたが「古仏」の失われることを惜しんだ組頭が、之を貰い受けて自宅に安置し、明治中期に再び神社境内に祀り遷した。この観音堂には、三十三年毎の開帳の際のみならず、津軽領内は勿論、遠く秋田領内からの巡礼が、あとを絶つことがなかった。「世の人を洩らさで乗する広船の弥陀の浄土へ押して行くなり」撰文斎藤譲(岩館)、揮毫鳴海敏栄(大光寺)、石匠大湯清作(石川)』昭和49年の42厄年有志建立。裏面建立者有志名…「除厄記念 62歳 中島与三郎、42歳 中島長生 工藤義美、外川清、外川庸一、中島林蔵、小笠原幸孝、長尾春三、小笠原鉄造、工藤清一郎、工藤富夫、福士鉄四郎、小笠原兼美、吉川光雄、小笠原貞盛、石山竹太郎、外川忠八郎、小笠原一広、福士行雄、外川三千雄、長尾久司、33歳 佐藤フサ、吹田リツ、小笠原ミキ、外川陽子、工藤クニ、外川トヨ、長尾礼子 昭和49年7月17日」。

石灯籠一対(昭和35年6月17日外川三太郎)。


石鳥居寄附人名碑。

石灯籠一対(文化15年)。
石灯籠一対(昭和57年除厄記念)。
聖観世音。

観音堂。
観音堂前狛犬一対(大正11年旧3月14日)。
台座「津軽音曲正美團元祖工藤文太郎敬白外團員一同」。

灯籠一対(平成10年2月吉日)。


稲荷神社。


稲荷神社鳥居前の石。文字が彫られていますが読めず。

昭和22年42才記念中嶋徳弥。ほとんどが除厄記念です。

開業三十年記念(昭和18年9月外川亀太郎建立)。


薬師堂。

鐘楼。

梵鐘。
梵鐘…『この鐘は嘉永二年(1849)に鋳造されたもので藩政時代の在銘の鐘としては当町唯一のものである。広船外川家六代の小右エ門庸祥が観音堂別当の廣住院に寄進したもので次の銘文が陰刻されており村中の永遠の繁栄と平和を願っている。』

以上、広船神社、広船観音堂でした。



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