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平川市町居の熊野宮。鳥居の額束神額は注連縄(令和2年旧1月15日奉納・古賀川町会一同敬白)と同じ素材を使い、畳のような感じで作られていました。入口にある杉は夫婦杉と呼ばれ、言い伝えによりますと江戸中期の頃、庄屋某が子どものないのを歎いて神社に祈願。その満願の夜に庄屋の夢の中に神童が現れて「お前の真心に感じて子どもを授けてやろう長く崇敬せよ。我はその杉に止まって世の中の子のない人びとに幸せを与えてやろう」と告げたといいます。この杉は高さ30mほどで、地上3mのところで2本の幹に分かれています(※未確認です)。
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当神社の由緒等については以前の記事を参照くださいね。
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社号標「村社二柱神社」(明治39年5月9日建立)。
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熊野宮神社大鳥居奉納記念碑(昭和58年)。
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向って左から大東亞戦争町居戦死者英霊慰霊碑、日露戦役記念碑(陸軍大将従二位勲一等功三級子爵児玉源太郎書)、征清戦役者紀念碑(陸軍大将侯爵山縣有朋書)。
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水分(みくまり)神社社号標。神社庁登記簿より…『大同二年秋八月坂上田村麻呂将軍猿賀神社再建の折、余材を以て当社を新築し給ひしより当村産土神として尊崇せる所なりと古老の伝あり、鎌倉時代曽我氏津軽地頭代として入部以来此の神を尊崇歴代奉謝の誠を到せり。吉野朝時代に於ては吉野方残党、吉野水分の分神を此の地に奉遷三嵩山蔵王権現として秘かに南方恢復の壮挙を計れるものの如し、天文の頃津軽の大守となりし津軽為信、父守信を失ひて孤となるや、当郷主町居飛鳥に養はれて此の地に在ること約五年、熊野大神及蔵王権現を信仰し夙に津軽一統の盟ひを立てたり。延宝九年十月調当宮神主山伏行人の覚には、一、町居村熊野宮自古来跡有之建立由緒不知神主斎宮大夫とあり、其の古きを知るべし(水分の神は後町居堰開)尚水分之神は、町居堰開拓後水源守護の神として霊験炳乎として明らかなりしが、明治六年神社御改革の際廃社と相成りたる処、同十年熊野宮の合祀願の通り許可相成り以来村民の信仰愈々篤く今日に及べるなり。旧社格村社、神饌幣帛料供進指定神社となり、昭和二十一年神社制度の改正により同二十六年三月二十一日国有境内地七百参坪壱合弐勺無償譲与の許可を受く。』・町居小学校閉校記念誌より…『熊野宮水分神社鎮座百年記念事業について、昭和四十八年は現在の神社に鎮座してから、丁度百年目に当るので、社屋の腐朽、破損がひどく、とても神社として拝されるものでなかったので、熊野宮水分神社鎮座百年記念事業協賛会を組織して、部落財産の一部と部落内及び出身者に寄附金を募って、拝殿の新築にとりかかり、合せ参道を簡易舗装とし、大神楽を奉納して、大祭を執行し、記念碑を建立した。大祭には部落民総出で、参拝し祝宴を催し、境内の舞台で津軽民謡大会を開催して賑った。翌四十九年には本殿の新築にとりかかり、五十年にはこれの玉垣をコンクリート造りとして完成した。尚五十年には今井三郎氏が、うで木銅板工事と、拝殿、本殿の欄間に朱塗り工事を寄進され、感謝された。』※町居堰は延宝元年に工事着工し、その3年後に完工。その後間もなく町居堰の守護神として鎮座
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こちらは石段に関する碑かな。読み取れず。
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参道鳥居。
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境内社。
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10.5
五訓の森。帝国在郷軍人会町居村分会が昭和8年に建立。陸軍中将軍西義一書。在郷師団長の尊称を持ち、町居村長を務めた竹村由雄氏発案。元々は集落内の溜池にあり、後に移転したもの。※竹村由雄…明治12~昭和37。南津軽郡町居村に生まれる。明治31年弘前中学校卒業後入隊、明治33年陸軍騎兵少尉、明治37年臨時予備馬廠長として鴨緑江軍に出征、司令官川村景明元帥の知遇を受ける。大正4年特別大演習で閑院宮元帥来弘のとき弘前城築城に関し御前講義を行う。大正10年川村元帥を招き在郷軍人と現役兵との対抗演習を行う。この時代に帝国在郷軍人会第八師管連合支部副長兼審議員を長年つとめ在郷師団長の異名をもち、その顎鬚も有名でした。昭和15年武運長久祈願のため三長官(第八師団長、青森県知事、大湊要港部司令官)の岩木山登山を提唱して実行させました。日露戦争には将校として従軍、在郷軍人会青森支部顧問、軍人会館評議員などをつとめ陸軍、海軍大臣から数度にわたって表彰を受けます。町居村長は二期つとめており、軍服村長として知られ、その間昭和11年、町居堰サイフォントンネル橋を作り、水流が6時間かかるところを僅か2時間に短縮する土木工事を完成。柏木高等学校組合立の創始者、津軽水田の藁工品副業振興に製莚機を初めて導入。篤農家で戦後は名誉職を一切辞退。農業に従事して戦後耕転機の導入、折衷苗代の導入も最初に行う。従七位勲五等。長男文明は郡民生委員総務連絡会長などをつとめ藍綬奉書、二男文祥は医学博士で東京都飯田橋病院副院長などを歴任し文章家として活躍。三男文夫は昭和20年戦前戦後を通して青函連絡船の船長。
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裏面碑文…『忠節 松 禮儀 梅 武勇 桜 信義 椹 質素 杉 明治十五年一月四日 明治天皇陸海軍人ニ五條ノ聖訓ヲ下シ賜ヒ一誠以テ之ヲ貫タヘキヲ諭シ給フ爾來帝國軍人ハ日夜聖訓ヲ奉戴シ累次ノ征戰ニ快勝ヲ博シ我武大ニ揚リ威望中外ニ輝ニ庶民其ノ堵ニ安ンス聖旨宏遠誠ニ恐懼感激ニ堪エズ今茲ニ勅論下賜五十年ヲ迎ヒ感更ニ深シ即チ地ヲ卜シ五訓ヲ象徴シテ植樹シ碑ヲ建テ之ヲ萬世ニ傳フ 昭和八年十二月一日建立 帝國在郷軍人會町居村分會』※卜された地は町居部落内の溜池に星型の中島を築き、忠節を表す松を頂点にそれぞれの三角地に梅、桜、椹(花柏)、杉を植えたもの。後に溜池の一部が埋め立てられて五訓の森も破壊されてしまったので、部落有志が話し合い、現在地に移建。
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抹茶を頂きたくなる池。
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境内社。
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14.5
手水石。なお、石敢當があるとのことでしたが見つけられませんでした。
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社殿前石段・鳥居。
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御神馬(終戦50周年記念。神馬寄進者:正八位陸軍歩兵少尉二代目齋藤幸作。協賛:町居敬神会会長葛西多美穂、町居部落会会長今井義盛。平成9年7月吉日。高岡市金屋町㈱金森トーベー謹製。原型日展彫刻家田畑功作)。
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石鳥居寄附人名標(大正元年8月15日建立)。
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石灯籠一対(昭和11年旧7月15日建立、西村敏男、奈良武始。工:丹代辰太郎。昭和56年7月15日敬神会修復。)。
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19.5
熊野宮由緒碑…『熊野宮ハ伊弉諾伊弉冉命ヲ大同二年産神ト村祭シ水木榮作嘉永年中廃止仝様トナレルヲ村中ニ謀リ稲村七番地ニ鎮座シ明治七年許可ヲ得八年三嶽山ヘ遷宮式舉萬治年中藩主許可ヲ得町居堤堀リ延宝五年功戌七月十七日産神ト村祭シ藏王宮明治四年廃祠トナリ八年水分神社ト更正シ合祀願十年官許ヲ得二柱大神トシテ七月十五日祭典ヲ行フ社掌山谷束仝四十二年官命ヲ拝シ村社熊野宮ノ改稱崇称セリ』・裏面『昭和二年七月水木壽太郎相続人孫一郎』※自信ありませんが内容はほぼわかるかと思います。孫一郎は水木前町長の厳父であり、熊野宮の再建に努力した栄作は水木氏の曽祖父。孫一郎は合併直前まで町居村長を務め、平賀町誕生の陰の功労者といわれる人。
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社殿正面。拝殿内には櫛引六郎による龍の絵の天井画、明治時代の絵馬、奈良忠之亟のお宮の題額、竹村松博が若き日に描いた「高砂」等があります。
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御神木。
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御神馬。
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台座には「平成二十八年七月十四日旧六月十一日建立」「御神馬再建建立記念」とあり、奉賛者御芳名が彫られています。
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こちらには今後何かが建てられるのでしょうね。基礎部分だけですがまだ新しい感じがします。
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手水舎。
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狛犬一対(御大典紀念・昭和3年旧7月15日、今井才太郎(當52歳)奉納、黒石山形町石工鈴木彌作)。
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大きくて迫力があり、かっこいい狛犬さんです。
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状態もとてもいいです。
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29.5
鎮座百年記念碑(町居熊野宮・水分神社改築)…『町居熊野宮水分神社の現在地に鎮座したのは明治七年で今から百年前のことである。又旧社殿は明治三十九年に建立したものでこれを改築して鎮座百年記念大祭並び行事を執行することといたしました。その経費を部落有林売却による財産区の助成と部落内外の有志多数の御協力による御寄附によってこの事業の完成を見るに至りました。こゝに過ぎし百年前の鎮守の宮居として維持管理してこられた先祖や先輩に感謝し将来益々町居部落の発展を祈念すると共に部落民およびその子孫の繁栄と幸福を希って記念碑を建立したものである。昭和48年8月15日町居熊野宮水分神社改築鎮座百年記念事業協賛会』※寄附者名等省略
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拝殿前石灯籠一対(明治19年10月15日)。
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31.5
拝殿前狛犬一対。
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32.5
紀年銘は明治19年10月15日で石灯籠と同じ日です。
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33.5
境内社(稲荷社)。
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34.4
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倉庫(祭具庫)。
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拝殿。
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向拝神額。
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「両社宮」(青森市在住郷親會)。
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本殿。
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本殿横に鎮座する境内社。
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石碑2基。
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1基は「熊野宮鎮座百周年記念碑」(昭和48年8月15日建立。字:櫛引松月。石工:川越平次郎)。碑文「敬神会の由緒」…『我が大日本帝国は大東亜戦争に敗れ昭和二十年八月十五日に無条件降伏した。米国のマッカーサー総司令部は直ちに日本の神社敬神思想普及を認めず況や公的な行事等は許さなかった為に村社熊野宮の管理するものがなくなった。それで信仰者が相集り昭和二十二年九月十五日熊野宮管理と敬神思想の普及を図る目的を以て敬神会が組織され初代会長竹村吉六氏が選ばれ祭事を行って参りました。二代目は葛西慶造氏、三代目は現会長の葛西喜芳氏であります。今年は恰も鎮座百年記念目に当りますのでこゝに敬神会の由緒を印しておきます。』
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もう1基は「熊野宮鎮座八十週年記念碑」(昭和28年旧6月15日建立。八十六翁高山松堂書。※80周年)。
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