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Ken Tsuneda Storehouse Art Studio Museum。青森市浪岡北中野字下嶋田。休館日:月曜日(祝日の場合は翌日、1月・2月の冬季休暇はお問合せください)。開館時間:10~17時(入館は16時30分まで)。
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看板が無ければちょっとした公民館みたいな外観で気付かないかも。
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常田健。
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林檎を育てながらバッハの流れる土蔵のアトリエで黙々と描き続けた常田健の作品300点余が収蔵されています(※約30点ほどを展示)。
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5.5
パンフレット"『満足』~土から生まれた-津軽の画家常田健が遺したもの"より…『冬、春、夏、秋 何回くりかえしてもいい季節だ。ただくりかえしていてくれればそれで満足だ。ただこのくりかえしだけしかないように願う。中央の画壇に背を向け、東北・津軽の地で自らもリンゴ園を営みながらひとり黙々と絵を描き続けてきた常田健。描き続けてきた絵は「人に見せるため」ではなく、ただ自分が書きたいから描く。「売るため」に描いているのでは無いと言い、いつか手直しをする為にと、日の目を見ることもなく寝起きしていたアトリエ代わりの土蔵に仕舞い込んでいました。過酷な風土・環境の中で懸命に生きる人々のありのままの姿を一途に描き続けてきた作品をぜひご覧ください。』
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6.5
パンフレット"宇宙人が結んだ縁、常田健・角川春樹・横尾忠則"より…『1999年常田健88歳の夏、銀座ギャラリー悠玄での大回顧展をきっかけに全国デビューを果たす。NHK/BSドキュメンタリー、TBS/筑紫哲也NEWS23、NHK/日曜美術館など人気番組に登場し一躍有名人となる。様々な文化人が常田健の周りに集まったが、大きな出会いは「画集 常田健」を出版した角川春樹事務所の角川春樹であった。角川春樹は常田健の画集はこの男だと横尾忠則を訪ね作品選定から造本まで全てを委ねた。当時の横尾忠則の守護神宇宙人のコードネームはケンであったと云う。全く共通項のない三人だが視えないパワーが出会いを生み、この豪華版画集は誕生した。手にとってその重量を感じると角川・横尾・常田の情熱と芸術文化の深さが時代を超えて伝わって来る。』文責:高橋美智子(常田健記念財団)
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7.5
「画集常田健」横尾忠則選定作品展/前期作品リスト
「稲はこび」(1931年/画集№1)
「母子」(1939年/画集№2)
「ひるね」(1939年/画集№3)
「飲む男」(1939年/画集№4)
「田おこし」(1940年/画集№5)
「水引人」(1940年/画集№6)
「村の地蔵様」(1940年代/画集№7)
「はじまり」(1940年代/画集№8)
「肩車」(1945年/画集№9)
「橇」(1945年/画集№10)
「村落」(1940年代/画集№11)
「稗とり」(1950年/画集№13)
「親子」(1950年/画集№14)
「稲刈り」(1950年/画集№15)
「稲刈り」(1950年/画集№16)
「しろかき」(1950年/画集№17)
「種まき」(1954年/画集№18)
「怪物」(1950年代/画集№19)
「笛ふき」(1950年代/画集№20)
「囚われた人々」(1953年/画集№22)
「集会」(1960年/画集№23)
「堰掘り」(1950年代/画集№24)
「田植え」(1965年/画集№25)
「ジェット機」(1968年/画集№27)
「悪夢」(1968年/画集№26)
「ジェット機の下」(1970年/画集№28)
「土地を守る」(1970年/画集№29)
「母子」(1970年/画集№30)
「田植え」(1970年/画集№31)
「枝切り」(1970年/画集№32)
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紹介した写真は一部です。想像以上に素晴らしいもので感動しました。
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是非とも現地に赴いてご覧になってみて下さい。
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「小さい頃から何か描いていたらしい。自分で描いたものに、すごく親しみを持っていたんです・・・人からこういう形が上手くなるとか、そういうことを言われたことないですよ。私には、これしかないと思ってずっと描いているんですよ。」
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「風景を描くのは、楽しい。人間を描くのは、しんどい。でも人間が描きたい。本当の人間、本当の生活を・・・・人間とは何なのか、ほとんど考えたこともないんだけど。」
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「父・常田健の落書き」(岡田文)より…『父のアトリエはりんご畑の向こうにあった。夕食時に父を呼びに行くのが子どもの頃の私の日課で、ドアを少し開けた隙間から「とうさん、まンま」と声を掛けると、中からは絵の具の匂いと一緒に「おう」と返事が戻ってきた。あとに会話は続かず、私は一人でさっさと母屋へ引き返す。中学校で理科と数学を教えていた母、七歳違いの姉、それに父と私。母屋の一階には祖父母らが暮らし、私たち四人が暮らしていた二階にはラジオもなく、ひとつの電灯の下で黙々と時を過ごした。それは団欒という雰囲気ではなかった。父は、そのへんの紙切れや雑誌の余白に、人の横顔や手や足など、落書きをしていた。いま思うと「素描」なのだが。父と母は、学芸会や運動会にも来たことはなかった。私はそれで普通と思っていたし、私自身も、自分の子どもの学校行事に参加したことはない。厳しかった母とは、おそらく、似合いの夫婦だったのだろう。だが、父母がどんな会話をかわしていたのか、私には記憶がない。母は八年前に他界したが、最近になって、父はふとこう漏らした。「夫婦ってのはやっぱり、一緒にいるもんだよな……俺は悪いことしたかな……」。そんな家族だったから、父の描いた「親子」の絵は、「我が家」とは別のものだと思っている。私は就職とともに青森を出て北海道に暮らし、家に寄りつかなくなった。息子が三歳の時に帰省し、父に初めて孫の顔を見せたのだが、その時、父が描いていた赤ん坊の顔は、息子とそっくりだった。写真さえ見せたことはなかったのに……。そして最近、発見した一枚の絵。姉が落書きをした紙の裏に、父が描いた幼い頃の私。父の字で「文、一九四八年」と記してある。父が私の顔を描いていたことに意外な思いがしたが、考えてみれば、いつも目の前にあるものを手近な紙に落書きしていた父だから、私の絵の一枚ぐらいは、あって当然か、とも思う。』
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土蔵のアトリエへ。
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土蔵のアトリエ内。
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当時使っていたままの状態で保存されています。
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かつての本人の写真と比較すればわかります。
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2階部分は公開されていませんでした。
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19.5
常田健略歴
1910年(明治43年)0歳…10月21日青森県五郷村(現在の青森市浪岡)北中野に五男二女の長男として生まれる。父健三郎は、浪岡小学校長を務めた。母のみさほは、画家阿部合成の父の妹。同年9月14日生まれの合成とは従兄弟にあたる。
1928年(昭和3年)18歳…旧制弘前中学校を卒業。川端画学校に入学。
1930年(昭和5年)20歳…プロレタリア美術家同盟研究所(長崎町プロレタリア美術研究所)で学ぶ。
1933年(昭和8年)23歳…郷里での軍事教練に反対した農業青年のストライキを聞き青森へ帰郷。しかし、ストライキは鎮圧された後であった。その後、その関係者との交流があり、農民運動の関係者として検挙され、拘留を受ける。
1934年(昭和9年)24歳…従兄弟の阿部合成と絵画を研究、制作にはげむ。後にグレル家(不良のグレルの意味)というグループを結成。特にフレスコに興味のあった常田は、その表現を確立しようと合成と研究を重ねる。この当時、青森市造道沢田の阿部合成旧宅土蔵のコンクリート壁4面に、合成との合作により描かれた作品は、現在、青森県立郷土館によって保存されている。Ataman Gouseinin(アタマン・ゴセーニン)合成のペンネーム。Kenchaloff da Grell(ケンチャロフ・ダ・グレル)常田のペンネーム。
1938年(昭和13年)28歳…祖父85歳にして死去。
1939年(昭和14年)29歳…県立弘前高等女学校に在職していた今井純と結婚。第26回二科展「ひるね」「飲む男」出品・入選。
1940年(昭和15年)30歳…第27回二科展「睡れる水引人」出品・入選。「ひるね」制作(現在、浪岡・中世の館に収蔵。)
1941年(昭和16年)31歳…第28回二科展「はじまり」出品・入選。
1943年(昭和18年)33歳…第30回二科展「田の草取り」出品・入選。
1945年(昭和20年)35歳…この頃入隊していた。終戦によって除隊。戦争中も絵具の配給などを受けながら制作を続けていた。
1950年(昭和25年)40歳…青森美術会の創立に参加。常田健、濱田正二、相馬清、尾崎ふさ、山田治、千葉健作らと結成。
1951年(昭和26年)41歳…平井信作の小説「生柿吾三郎の来歴」挿絵担当(東奥日報社)。
1955年(昭和30年)45歳…日本美術会会員となる。青森平和美術展(青森美術会主催)、日本アンデパンダン展に出品(以降毎年出品)。
1966年(昭和41年)56歳…青森にて個展開催。
1967年(昭和42年)57歳…東京・紀伊國屋画廊にて個展開催。
1968年(昭和43年)58歳…弘前にて個展開催。
1984年(昭和59年)74歳…青森美術会により「常田健画集」刊行。
1991年(平成3年)81歳…第12回青森県文芸協会賞受賞。農民を描き、独自の作風を確立し、小説挿絵に新境地を開く(小説家平井信作の挿絵を担当)。青森美術会創立に参加し、若手の画家に大きな影響を与えたことが授賞理由。
1992年(平成4年)82歳…浪岡・中世の館ホールにて常田健個展開催(浪岡町教育委員会主催)。妻 純 死去。
1995年(平成7年)85歳…秋田県立近代美術館「美しき大地・その四季彩 東北を描く」に「睡れる水引人」を出展。
1997年(平成9年)87歳…第39回青森県文化賞受賞。農民の生活を描き続けてきたこと、青森美術会の結成に関わり、青森県美術界をリードするとともに若手画家に大きな影響を与えたことが授賞理由。
1998年(平成10年)88歳…常盤村ふるさと資料館にて個展開催。
1999年(平成11年)89歳…東京・ギャラリー悠玄にて「常田健~津軽に生きる88年~」開催(6月15日~8月8日)。
2000年(平成12年)89歳…4月26日巡回展開催直前の急逝。
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