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青森県八戸市大字河原木久保。髙館蒼前神社。小田八幡宮に向って左の坂を県道八戸野辺地線が上っていきますが、その坂を登りつめ、高館小学校の信号を右折、海上自衛隊の方へ200mほど進んだ左手に鎮座。事前の調べでは境内に市内で最も太いケヤキ(胸高直径約2m)が生育しているとのことでしたが見当たらず。写真では見たことがありますが、鳥居に向って左側にあったはずなので伐採されたのでしょうね。 
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手水舎。
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手水石二基。うち一基は「昭和8年旧3月15日是川村石工番地芳三」。
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高館蒼前神社の創建は不詳。近辺では馬産が盛んだったそうです。明治初期の神仏分離令によって気比神社と改名しているようですが、現在も「高館蒼前神社」の名称となっております。
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高館蒼前神社(案内)…『当神社には、保食命をお祀りしています。保食命(古事記・日本書紀参照)は五穀豊穣・商売繁盛・健康開運・交通安全・家内安全・子孫繁栄・その他諸祈願成就の守護神です。枝宮は蒼前大明神で知・仁の守護神です。』
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「伝説」源義経北方コース「高館」…『悲劇の名将と世にうたわれた源九郎判官義経は兄の頼朝に追われ文治5年(1189年)4月平泉の高館において31歳の若さで自害したといわれている。短く華麗だったその生涯を想い、後世の人々は「義経はその前年にひそかに平泉を脱出し、北をめざして旅にでた」という伝説を作りあげたのである。世に言う「判官びいき」であろう。「類家稲荷大明神縁起」(おがみ神社所蔵)によれば八戸に到着した義経は現在の館越に小さな居を構え、一年余り住んでいたが、さらに周辺を調べさせた結果、この地が遠くを見渡すことができるし、前方が広く開けていることから、将来は人家にも田地にも利用できる地であるとし引越しを決め、ここに居住した。家来たちはこの地を「高館の御所」と呼んだという。』
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枝宮。
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蒼前大明神。
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手水石(明治36年1月)
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