1
秋田県湯沢市字内舘山。湯沢城址。善明寺の隣。
2
道路沿いの一角に石塔群があったのですがすべてお墓でした。
3
3.5
参道石段。
4
眺望。
5
参道鳥居。
6
境内。
7
雑草が伸びていてあまり整備されていない感じでした。
8
御祭神は多紀理姫命、息長足姫命、本院別命、狭依毘売命。例祭日8月15日。
9
八幡神社社殿は市指定有形文化財(建造物)。明治14年9月20日、東北御巡幸中の明治天皇が御宿泊された際の行在所を移築したものです。
10
狛犬一対。
11
11.5
木造平屋建、寄棟造、鉄板葺。明治14年(1881)9月20日、東北御巡幸中の明治天皇が、御宿泊された際の行在所を移築したもの。行在所は、当時の郡役所の敷地内(現市役所駐車場)に建てられ、内部には12畳敷の玉座や床の間などがあり、また前面の庭園には築山、花園、噴水のある池もつくられました。八幡神社は、佐竹南家三代義種が常陸国から奉遷したと伝えられる由緒ある神社ですが、文政2年(1819)の湯沢の大火で社殿を失い、以来仮堂のみで再建はされていませんでした。明治15年、佐竹南家十六代義隣を発起人とする八幡神社の再建をはかる人々により、この行在所が社殿として移築保存されました。
12
拝殿向拝。
13
拝殿内。
14
八幡神社の由耒…『この八幡神社は慶長7年(1602年)旧秋田藩主佐竹義宣公が水戸から秋田に遷封せられ一族佐竹義種をして湯沢を治めしむるに当り佐竹家代々の氏神として奉祀した八幡大神をこの地にうつし壮大な堂宇を建立して一郷の尊崇極めて厚かったが文政2年(1819年)卯4月8日湯沢大火の災にあい社殿を悉く灰燼に帰した。その後、祠宇三尺四方鞘堂八尺四面の仮堂を営み僅かに形式を存して奉祀して耒たが明治14年(1881年)9月明治天皇東北御巡幸の途次湯沢に鳳輦をとどめられるに当り翌十五年三月行在所をこの地にうつして社殿となし尓耒数次にわたる修理を加えて今日に至ったのである。したがって当社殿は明治天皇の御巡幸を記念すべき貴重な建造物であり明治41年(1908年)時の皇太子殿下(大正天皇)東北行啓の際は社殿社地を撮影して献上し大正8年(1919年)には町費五百円の交付あり更に昭和5年(1930年)8月には宮内省より係官の派遣調査あり同年9月には明治天皇聖蹟保存会副会長西郷侯爵が特にこの地に派遣せらるる等数次にわたる栄譽さになっている。更に昭和39年5月湯沢市教育委員会より市の文化財に指定せられ金五千円の補助金を交付せられた。斯くの如く当八幡神社は佐竹家代々の氏神として崇敬せらるるのみならず明治天皇聖蹟として永く保存せらるべきものである。昭和44年9月氏子総代一同』
15
神社庁より…『創立慶長7年、旧社格無格社。創建の初めを尋ねるに、慶長7年旧藩主の祖佐竹左中将源朝臣義宣公遷封の際主命を奉じて当郷を支配す。抑々八幡神社は旧藩主家祖先以来の氏神にして、本国常州水戸府中より奉遷したことにより、同9年壮麗な社字をこの地に建立してこれを鎮祭し、一郷の人々挙げて崇敬する。然るに文政2己卯年4月8日の大火により市中百余戸焼失、延びて本社堂宇にも及び、ことごとく灰じんとなる。爾後仮に堂宇2尺四面鞘堂8尺四方のものを営み奉斎して来た。年経て明治16年南家佐竹義隣敬神の念篤い諸氏の協賛を得てこれを再建するも、歳月推移の中に殿屋大破に及ぶ。抑々現在殿は明治14年明治天皇御巡幸の時、当地行在所の建材を遷用したものであって、千載一遇の御幸記念を永久に伝えているのである。』
16
16.4
16.8
境内神社。
17
小祠です。
18
18.5
石仏。
19
19.5
二十三夜塔など。
20
句碑。
21
境内神社。
22
稲荷神社です。
23
神額紀年銘は昭和11年7月かな。
24
石祠です。
25
25.5
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ