秋田県湯沢市古館山。中央公園(湯沢城址)内。この一帯は佐竹南家御屋敷跡です。

鑑賞池。

湯沢尋常高等小学校・湯沢東小学校・湯沢西小学校跡碑。

二宮金次郎像。

忠魂社(昭和34年11月3日・元第一航空艦隊司令長官寺岡謹平書)。

湯沢雄勝戦没者慰霊之碑

衆議院議員菅義偉謹書。菅義偉!!

野外音楽堂。

佐竹南家の門。
佐竹南家の門…『この門は旧湯沢城主佐竹南家の門でありました。昭和55年5月、湯沢郡市計画道路御屋敷線工事のために佐竹南家ゆかりの地、ここ城址公園表門に移転したものであります。この門をとおして湯沢の歴史を偲んでいただきたいと思います。平成弐年8月8日湯沢市。佐竹南家第壱九代当主佐竹義輔氏米寿記念としてこれを改装する。』

鳥居。
イチョウ(雄)。

御祭神は宇賀能美多麻命。
崩れた石灯籠。


湯沢城址にお沢稲荷神社と泉光院稲荷神社が祀られております。お沢稲荷神社は佐竹義種公が湯沢に来る際に水戸から移し祀ったもので、泉光院稲荷神社はその分社となります。
佐竹南家で飼っていた白鳥が狐に食い殺されたので、当時城内にあったお沢稲荷に城主が訴え出ました。翌朝、処罰された狐が庭先で死んでいました。このことを聞きつけて多くの参拝者が訪れましたが、町人が城内に入ることは許されなかったので、泉光院にお沢稲荷の拝殿を設けて便宜を図りました。その後、泉光院が廃れたためにその名をとって泉光院稲荷大明神と名付けられました。一方、お沢稲荷神社は、その後、佐竹家から根小屋町でもらい受け、泉光院稲荷と同時に毎年7月11日に盛大なお祭りを行っています。

社殿内。





神額「正一位稲荷大明神」
頭の無い狐。

お沢稲荷神社…『お沢の稲荷さんは、湯沢佐竹南家が最も信仰した神様と言われています。そもそもは、慶長7年、湯沢初代佐竹義種が、湯沢城主として入城したとき、五社の一つとして五社壇に祀ったものです。佐竹家は、北に御獄神社を祀って北方鎮護の神とし、内では稲荷神社を祀って、五穀豊穣、無病息災、お家の繁昌と湯沢町の安泰をお祈りしました。その後、元和6年に湯沢城が取り壊しとなり、山の麓に壮大なお屋敷を建てられたとき、平和の神、学問の神として、現在地に移されたものです。平成25年10月湯沢東部地区まちづくり協議会』

行きませんでしたが道がありました。湯沢城址内です。

二十三夜塔(文久元年9月吉日)。
こちらはわからず。

境内神社。

向って右の小祠には「湯澤御澤鎮座常陸稲荷神社廣前大麻」とありました。調べてみたらここから北方の湯沢市稲荷山に「湯原常陸稲荷神社」(御祭神は稲倉魂命・大物主命)が鎮座しておりました。御祭神は稲倉魂命。無関係かも知れませんが由緒を掲載しておきます。『その草創は遠く今を去る900余年前、人皇72代白河天皇、応徳3年(1083)と寛治元年(1087)の中頃と伝承され、甚兵衛を首長とする浪士7人(七浪士の出所は不詳なるも、一説に後三年の役に源頼義、義家軍は寒気厳烈と豪雪に一時敗退の節に於ける落武者とも推定され、或は山伏の一行とも語りつがれている)が、諸國遍歴の旅を続け各地山野を跋渉の途次、夜中一峻嶺(御嶽山連峰か)から眼下に一灯を望みこの地に至るに、灯ならずして泉に夜光の反映するを見、一掬するに、はからずも微温湯なりこれに浴すや忽ちにして疲労が消えこのほとりに一睡す。夜半甚兵衛の夢枕に神人現われ自ら一行7人の旅装解くを見て目覚め一行に之れを語る。一人の曰く「神人は常時信仰する守本尊でこの地に一郷を拓くべし」との神示と一同畏んで護持している「守本尊稲荷大神」を茲に祀る。即ちこの地が湯の原温泉地であり当湯原稲荷の縁起である。霊夢に神示を受けた日即ち5月5日を例大祭日とし、永代祭祀して今日に至る。「常陸稲荷大神の縁起」は、慶長5年関ヶ原戦役に勝を制した徳川家康により、当時常陸国太田城主佐竹義宜が20万6千余石で秋田に遷封され久保田に築城し、支族南左衛門尉義種を禄高8千9百余石を以って湯沢城主に配置されたが、それは今を去る384年前即ち慶長8年(1603)といわれ、佐竹義種は赴任に際し常陸に於て尊信せる稲荷大神を奉持し来り、既に在った一郷の鎮守湯原神社に合祭して「伯王山湯原神社吉田山常陸神社」と称号。親交のあった京都の吉田神司より特に乞うて召連れて来た吉田永順を神司とされ南家代々の祈願処と定め自ら壇主として直参弊奉し類例のない敬信を表した。戦前、家業繁栄、五穀豊穣にあらたかとして参拝すこぶる盛んにして殷賑をきわめた。昭和49年1月驚異的豪雪により、神社社殿大いに損壊し、同50年町内外の信奉協力により修復されたが、修復に際し佐竹南家初代城主義種手植の杉370有余年の年輪をきざみ、その2本が修復の資材に供し得こととは神樹の御神徳であった。又解体中「明治31年9月1日工人高橋〇〇」と記した木片が発見され、90余年前大改修された史実が明らかにされた。』

その他境内神社(稲荷の小祠)。




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