
青森県青森市三内丸山。

偶然にも令和2年度三内丸山縄文秋祭り期間だったため、入城無料の上にペンやクリアファイル等記念品も頂きました。

イベント内容としては発掘調査現地説明会、クイズラリー、縄文パノラマビュー!!(高所作業車にのり、6本柱と同じ約15mの高さから遺跡を眺める)、発掘ひろば(特設の砂場でミニチュア土器や土偶の疑似発掘体験)、縄文ハンター(やりをはじめとした縄文時代の仕事体験)、#三内丸山遺跡キャンペーン、縄文ものづくり体験など。

一部のみの紹介。写真も一部です。順不同。説明もあまり必要ないですよね。案内板の一部のみを引用して紹介します。

ペーパーハンドで作った最大の文章(ギネス世界記録・2019.9.14)



考古学レッスン最多参加人数(ギネス世界記録・2017.11.5)

遺跡のジオラマ。

時遊トンネル(遺跡へ)。

環状配石墓と道路跡…『環状配石墓は大人の墓のまわりを石で囲んだもので、大きさは直径約4mです。南側に延びる道路跡に沿った斜面に並列に作られています。道路跡は地面を削って作られていて、幅約7~12mあり、集落の東側へ約420mと南側へ約370m延びています。現在の園路は道路跡の上に設定されています。』


三内丸山遺跡へようこそ…『特別史跡三内丸山遺跡は縄文時代前期中頃から中期にかけて(紀元前約3,900~2,200年)、長期間継続した大規模な集落跡です。1992年から大規模な発掘調査が行われ、竪穴建物跡、大型竪穴建物跡、大人と子供の墓、盛土、大型掘立柱建物跡、掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘穴、道路跡などが見つかり、集落の様子と当時の環境が明らかになりました。また、膨大な量の土器、石器、土偶、土製品、石製品、掘り棒などの木製品、漆器、縄文ポシェットと編布、骨角器などが出土し、他地域から持ち込まれたヒスイや黒曜石なども見つかっています。2000年11月に国の特別史跡に指定されました。』
南盛土…『盛土は竪穴建物や穴などを掘ったときの土やゴミ、焼けた土や炭、石器や壊れた土器などが同じ場所に長期間継続して棄てられ、小山のように盛り上がっており、現在、北盛土、南盛土、西盛土の3ヵ所が確認されています。北盛土や南盛土では土偶が特に多く見つかっています。』
竪穴住居。
中に入れます。

立入禁止のものも。
竪穴建物の復元…『竪穴建物は地面を掘って床を作り、柱を立て、屋根をかけています。縄文時代中期(紀元前約3,000年)の竪穴建物を復元しており、屋根は発掘調査の結果や民族例を参考に、茅葺き、樹皮葺き、土葺きの3種類で復元しています。時代によって、平面形、柱の配置、炉の位置や構造に違いが見られます。』
大型竪穴建物跡…『長さ10m以上の竪穴建物は大型竪穴建物と呼ばれ、集落の中央付近から多く見つかっています。ここは縄文時代前期(紀元前約3,500年)の大型竪穴建物跡が発掘調査で見つかった様子を展示しています。長さ約15mで、柱の位置が外側へ移動していることから建て替えされた可能性があります。』


大人の墓(土坑墓)…『大人は、地面に掘られた穴(土坑墓)に埋葬されました。土坑墓は道路の両側に向かい合うように列状に並んでいます。墓の中からは、副葬品として石器やヒスイ製のペンダントが出土した例もあります。』



掘立柱建物…『掘立柱建物は地面に柱穴を掘り、柱を立てたもので、地面に炉や床などの跡が見つからないことから、高床建物であったと考えられています。柱は約35cmの倍数で配置されています。』
北の谷(低湿地)…『北の谷は、縄文時代前期(紀元前約3,900~3,300年)にはおもにゴミ捨て場として利用されていました。水分が豊富なため、通常残らない動物や魚の骨、種子、漆器や木製品、編み物、寄生虫の卵などの有機質の遺物が良好な状態で出土しており、当時の環境や食生活などがわかりました。また、土留め用の杭列が見つかっています。』
北盛土…『盛土は竪穴建物や穴などを掘ったときの土やゴミ、焼けた土や炭、石器や壊れた土器などが同じ場所に長期間継続して棄てられており、小山のように盛り上がっています。ここでは発掘調査された当時のまま展示しています。一面に敷き詰められたような土器は縄文時代中期(紀元前約3,000年)のものです。展示している部分はほんの一部ですが、盛土ではこのような状態で何層にも重なって広がっています。』
子どもの墓…『子どもの遺体は、土器に入れて埋葬しました。棺に使われた土器は、丸い穴があけられたり、口や底が壊されており、煮炊きに使用する土器とは区別されていました。中からはこぶし大の丸い石が出土した例もあります。』



大型掘立柱建物…『この復元した大型掘立柱建物は、発掘調査の成果や柱穴の底の部分にかかっていた土圧の分析結果などから全体の大きさを推定したもので、柱間と同じ4.2m間隔で床を作り、3層の建物としています。屋根についてはさまざまな説があることから現在のところ復元していません。』
大型掘立柱建物跡…『掘立柱建物は柱穴を掘り、柱を立て、床や屋根を支えています。ここからは直径約2m、深さ約2mの柱穴が3個ずつ2列並んで見つかりました。これらの間隔はすべて約4.2mで、規則正しく配置されていました。柱穴の中からは直径約1mのクリの木柱が見つかりました。縄文時代中期後半(紀元前約2,600年)のものと考えられています。』
大型掘立柱建物復元図。

大型竪穴建物…『長さが10m以上の竪穴建物は大型竪穴建物と呼ばれています。この復元大型竪穴建物は長さ約32m、幅約9.8m、床面積約250㎡であり、日本最大のものです。縄文時代中期後半(紀元前約2,800年)のものを復元しました。住居の他に、集会場や共同作業場などの説があります。』
中へ。
特別史跡三内丸山遺跡碑(平成9年3月5日史跡指定(文部省)、平成12年11月24日特別史跡指定(文部省)、平成13年5月30日建立青森県)。

縄文時遊館へ向います。
館内。


見応えがあります。
縄文シアター、常設展示室、企画展示室、整理作業室、一般収蔵庫などを見ることができます。
この日は有料エリアも無料だったので、ケチな私は気持ちよく楽しめました笑
是非現地でお楽しみください。
れすとらん五千年の星へ。発掘プレート。青森県陸奥湾産ホタテを使った貝焼き味噌、ソテー、甘露煮。ごはんの中からハマグリ(貝殻)を発掘できたら「ソフトクリーム栗夢」がプレゼントされるそうです。食べ終わってから知りました。

月替わりうどん(写真は山菜たぬき)。うどんには栗、どんぐり、長芋が練りこまれた縄文うどんを使用。結構独特な食感でした。

ドルチェのソフトクリームと…

しょうが味噌ソフト。満足!



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