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新山神社前に駐車場があったのですが、霊園の駐車場だったようです。
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遺徳を偲びて…『北に新山神社のお座す鎮守の森を仰ぎ、南に聖なる川金生川のせゝらぎを聴く処、こゝ泉沢共葬墓地は、今や荒涼たる昔日の面影はなく整然たる近代的霊園として変貌せり。これ偏に檀徒一同の熱意と工事関係者の献身的な努力の成果なることは勿論なれど、み佛のご加護の賜物に他ならず顧みて感無量なるものあり、この一大事業の竣工を機に改めて先人の遺徳を偲び、先輩各位の歩まれた足跡を尋ね、その業績に思いをいたすことは誠に意義深きものありと信ずる所以なり。そもそも昭和初期の泉沢地区は僅か二十戸足らずの小部落にして、年毎に襲来する旱魃水害等の災害は、いやが上にも人々を貧窮の渕に沈め、塗炭の苦しみの中に陥らしめたり。この窮乏を救う為には堰の改修と揚水場の設置以外に途なきことを痛感し英断を以てその実現を図りたるはまさに先見の明というべきなり。即ち昭和五年泉沢堰を木造より石造りに改め、仝十五年八幡西揚水機の設置、仝四十年金生川の改修、更に泉沢堰の自動堰の竣工仝四十二年長者原、四十三年谷地田の開田工事、仝五十五年尾崎基盤整備等々、いずれも小部落としては並々ならぬ大工事なれど、あらゆる困難を克服し見事竣工完成したる先人の苦闘の姿には、自ずと襟を正さしむるものあり、泉沢部落の治水の歴史は、まさに先人の血の滲むような苦闘の歴史でありその結果として現在の平和と繁栄あることを夢忘れてはなるまい。今平和の光漲る渺茫たる沃野、豊饒の美田を目のあたりにして感謝の念転た禁じ得ざるものあり。茲に霊園竣工の記念すべき時に当り、先人の遺された偉業の一端を述べその功績を永く後世に伝うるものなり。希わくは累代の精霊安んじて瞑せられんことを。昭和六十年六月』
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新山神社の鎮座地は宮城県栗原市栗駒泉沢。かつての泉沢村。長者原という地名があり、往古泉長者の住居跡と伝えています。鎮守は泉長者勧請の深山権現社であり、現在の新山神社です。
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伝説によりますと、泉谷沢より泉酒が湧出していたといいます。長者(泉長者)には1人の美しい娘がいましたが、毎日ふさぎ込んでやつれていったため、長者夫婦は鎮守新山神社に7日7夜の祈願をし、満願の夜、病気は妖蛇の変化のためであり、黒鉄の針で変化の衣服の裾を縫うべしとの神夢があり、若侍に変化した大蛇は黒鉄針で3針縫われ、現在の富野の鹿島沼に死骸となって浮かびました。村人はここに蛇玉権現を祀ったといいます。その後、栗原館主栗原内膳なるものが娘との結婚を拒絶されたのを怒り、難題を突きつけ娘を奪おうとしたので長者一族は秋田に逃れたと伝えます。
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新山神社(鎮座地:栗原市栗駒泉沢新山下23番地)…『【御祭神】木花開耶姫命【御由緒】嵯峨天皇の弘仁3年(812)8月、開拓住民の創建による。本殿は、天保8年(1837年)8月の造営で流造。拝殿は、大正3年(1914年)の造営で両入母屋造。明治10年(1877年)5月村社に列し、昭和21年(1946年)神社本庁に所属し現在に至る。【例祭】旧暦8月27日【境内地】8065平方メートル【境内石宮】青麻神社、湯殿山神社、月山神社、雷神社、荒神社、山神社、庚申、馬頭観音、牛神【境外神社】秋葉神社(泉沢谷地田31の10番地)、八幡神社(泉沢八幡西6番地私有地)【氏子数】31戸』
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鳥居からは何も見えず本殿までの距離が読めません。
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鳥居の後方には山が見えていたのでちょっと不安になります。
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山道ですが思っていたより勾配は緩やかで足元も良かったです。
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参道途中の石碑群。
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全部は見ていませんが、庚申碑(文化3年11月)、馬頭観世音(昭和12年12月)、馬頭観世音(明治43年3月)、馬頭観世音(昭和30年5月)、馬歴神(昭和5年旧1月)、馬櫪神(大正9年9月)、馬力神(明治12年)、牛神(昭和30年7月)、庚申、牛神(昭和25年12月)、庚申、馬力神といった感じです。
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こちらも参道途中の石碑。出羽三山、三峯神社、三吉神社の碑で、紀年銘はいずれも明治35年でした。
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いきなり現れた狛犬一対と石灯篭一対。
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中々味のある狛犬でした。
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紀年銘等詳細はわからず。
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石灯篭。こちらは昭和9年吉日奉納でした。
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石段の先に社殿が見えます。軽装だったので思っていたより近くて一安心。
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石段途中にあった手水石一対。
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参道の石段を振り返るの図。
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嵯峨天皇の弘仁3年(812・平安時代)8月に、泉沢村を開拓した住民により創建された社で、村鎮守として崇敬されております。
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安永風土記書によりますと、創建後の承安年中(1073・平安時代)泉長者なる者が新山宮と共に東境の八幡宮、南方に鎮座する秋葉神社、北境の猿田彦神社を鎮め祀り、深く信仰したといわれています。また、武将農民の社領神田等の寄進があったとも記されています。新山神社は安産の神として頗る栄えました。
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明治10年5月村社格加列。現在の本殿は天保8年8月に藩士小染川五平、鹿又長四郎らの造営にかかり、拝殿は大正3年に新築されたもの。
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拝殿前石灯篭一対(昭和4年12月)。
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本殿裏手の小高い場所に祠が並んでいるのが見えました。
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石碑が1基、石祠が8基。
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石碑は湯殿山。紀年銘等は読み取れず。
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駒形根神社。
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古峯神社。
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秋葉山。
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青麻神社。
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雷神宮。
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読み取りにくいのもありましたが案内板にあった境内石宮ですね。
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石碑前から見た社殿。
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