
青森県八戸市尻内町根岸山添。

江戸期に見える尻内村は三戸郡のうち。はじめ盛岡藩領。寛文5年からは八戸藩領。長苗代通に属します。
村高は「正保郷村帳」222石余(田193石余・畑29石余)、「貞享高辻帳」222石余、「元禄10年高帳」616石余(田540石余・畑75石余)、「天保郷帳」889石余、「旧高旧領」464石余。「八戸藩日記」元禄9年2月の条に「当所御百生共内水呑家数拾七軒、人数四拾人御座候」とあり、当村の平右衛門が困窮農民の救済を願い出ています。御巡見通行ニ付御差立勤方覚によりますと、延享3年の家数42、人数202、馬数45。社寺としては元和2年勧請と伝える白山神社、元禄元年草創と伝える浄土宗柳水山青竜寺が見えます。


明治初年の「国誌」によりますと、戸数64、村況は「南に野佐・馬淵の両川ありて田畑は四維に開け、地平衍にして中之下、田多し、農を専とすれとも糧尚足らす渡島に出傭して生活の資となす」とあります。また、当村支村三条目は「根市村と云あり、今は廃村となり民家なし、只支村三条目のみ残りしか、明治壬申戸籍改正の時三条目を根市村の本村とし、根岸の支村張田・正法寺・洞の三所を根市村の支村とす」とあり、根市村が廃村状況にあった一時期に同村の本村となっていたといいます。なお、同書の根市村の記事によりますと、三条目の戸数11で、地内の状況は「五戸道を夾て青圃の際に住す、土地は下之下、田多畑少し、北海に作し産を資く」とあります。明治7年の県管内村名簿では当村に支村は見えません。同12年の「共武政表」によりますと、戸数67、人口487(男241・女246)、牛3、馬148、寺院1、学校1。物産は米、麦、雑穀、酒、麻糸、鳥類。同13年に尻内小学校が開校し、のち明治28年三条小学校に統合。明治22年上長苗代村の大字。
市道沿いの鳥居をくぐり、灯籠一対(平成3年1月)があり、階段を上ると、2間4方切妻造の社があります。
由緒等についてはわかりませんでした。

拝殿向拝神額。

拝殿内。

御神木。

社殿の横には地蔵尊がありました。

高さ86cm、幅27cm、厚さ18cm。台座(高さ16cm、幅36cm、奥行34cm)の上に祀られています。



コメント
コメント一覧 (2)
森に向かって階段があるので、
気になっていました。
どんなところかと。
トトロがいそうなイメージで
ワクワクドキドキします^_^
yuki
が
しました