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秋田県鹿角市十和田大湯宮野平。黒又山。黒又山(クロマンタ) 山頂に鎮座。由緒書きや調査結果などが数々ありますが、主にクロマンタピラミッド説に関わるものが多いです。
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入口付近には庚申塔、下部に三猿が彫られている碑、奉修蛇王大権現碑(昭和58年11月6日・願主柳沢悦郎)、猿田彦大神(昭和51年10月吉日)がありました。
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案内板…『◆本宮神社の由来…十世紀末頃、俘囚の長として成長した豪族安倍貞任は、この地に及ぶ程の強力な支配勢力をもっていたと言われる。安倍一門の中に本宮徳次郎という医者がいた。本宮は、安倍の従者として蝦夷地に移ってきたのであるが、草深い鹿角に来て薬草の生い繁るこの地に安住の場所を求めたのである。その時、安倍の守り神である清水観音、八幡大菩薩、帝釈天を背負ってきたとされる。安倍の守り本尊である帝釈天を庚神として現在地にまつり、これより巽の方角(草木八幡堂)に八幡大菩薩を、丑寅の方角(大円寺境内)に清水観音をまつったのである。更に自ら庚神を守りながら、医者の守り神である薬師如来を一心に信仰し、四方はるか遠くからでもお参りできるよう、この黒又山頂に薬師堂を建立した。本宮は名を徳宗と号し、多くの病人を薬草をもって救い、以後本宮家は数代にわたって栄えたといわれる。本宮神社の名がかかげられたのは明治になってからである。この地一帯に深く信仰を集め、昔から薬師さんとして親しまれている。頂上には三間四面の薬師堂が鎮座され、本尊は薬師如来である。頂上まで所要時間15分。◆黒又山の由来…標高280米、現在地より80米の三角錐のこの山は、ピラミッド説が強く神秘につつまれた山です。人工的に積み上げた山ではないが、人の手で削り取り形を整えて、山霊を仰ぎ多くの人々の信仰を深め、祭儀を行なった山とされています。地元の人々は昔から、この山を、クロマンタ山、又はクルマンタ山と読んでいます。大昔から、この地方は蝦夷地であったのでクルマンタ山も蝦夷語で解説すると次のようになります。「クル」とは神、又は普通でない人間の事。「マクタ」とは野の事(マンタはマクタの転訛と思われる)。「キシタ」とは山の事。「クルマクタキシタ」すなわち神野山となり、これがクロマンタと呼ばれるようになったと思われます。黒又山の名は後で付けられたものですが、ともかく古代の遺跡ストーンサークルをはじめとして、多くの神仏が祀られている野原に立つ山、そして深い神秘の中に多くの信仰を集めた山で、ピラミッドと言っても不思議ではありません。今もなお、信仰深い山「神野山」であり、すなわち現在の黒又山なのです。』
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Wikipediaより…『◆黒又山は、秋田県鹿角市十和田大湯地区中通台地にある、円錐の形をした標高280.6mの山である。地元では「クロマンタ」または「クルマンタ山」と愛称され、山頂には本宮神社がある。山の形がピラミッドに似ているので、古代のロマンをかきたてる山としてマニアでは知られている。昭和17年に鳥谷幡山によって、黒又山の上空に光りながら飛行する、何らかのものを描いた黒又山の絵が有名である。 黒又山のすぐ近くには、国特別史跡「大湯環状列石」がある。登山するには、宮野平集落の本宮神社鳥居口から入る。山頂周辺には樹木が繁っているので、眺望はあまりよくない。 山麓には、秋田県鹿角市遺跡詳細分布調査報告書記載の堤尻I遺跡・堤尻II遺跡・堤尻III遺跡(縄文時代)などの遺跡がある。◆本宮神社縁起…安倍貞任の一門の中に、本宮徳治郎という医者がいた。本宮徳治郎は鹿角に安住の地を求め、移住する際には安倍氏の守り神である清水観音、八幡大菩薩、帝釈天を背負ってきた。本宮は帝釈天を黒又山に祀り、巽の方向の草木八幡堂に八幡大菩薩を、丑寅の方向の大円寺境内に清水観音を祀った。更に、医師の守り神である薬師如来を一身に信仰し、遠くからでもお参りができるように黒又山に薬師堂を建立した。本宮神社の名が掲げられたのは明治になってからで、この地一帯に深く信仰を得て昔から薬師様として親しまれていた。黒又山頂上には薬師堂が鎮座していて、本尊は薬師如来である。◆考古学的発見…黒又山は1992年から1994年にかけて、考古学的調査が行われた。黒又山遺跡の出土遺物には、石器や石造品、土器、土製品の基本的遺物があげられる。また、鉄釘や古銭なども出土している。特筆すべきなのは、石英安山岩からなる刻文石製品で、山頂部、斜面、山麓部から16個ほど出土している。刻文石製品は縄文時代に小型のものが若干調査例があるが、大量に大型のものが狭い区域に集中して出土するのは、極めて特筆すべきことである。大湯環状列石という縄文時代後期初めの宗教祭祀遺跡から直線距離で2km内外にあることも考えると、この黒又山も山岳宗教祭祀の場であったと考えられる。発掘された石は岩偶と思われる物も含まれており、最大で42×25×18cm、最小で8×4.5×4cmで、いずれも人頭大前後ばかりのもので、ちょうど人が持ち運びできる程度の重さである。刻まれた「文様」は黒又山の南西にある猿賀神社の「御神体石」に刻まれた文様と酷似している。地中レーダーによって、黒又山の地下に石で造られた数段のテラス状の構造が確認されている。第2次調査のトレンチにより、山頂部からは「烏帽子状の立石」が発見された。立石は頭部の部分は表面の自然石が剥離していて、何らかの強い衝撃によって破壊された跡が残されている。立石はほぼ四面体になっており、第1面には「目の形」に刻まれた跡が、他の面にも蛇の様な盛り上がりや、小さな円形状の文様が刻まれている。目のような文様は、国道103号沿いにある(国道を造るために移動させられているという)通称「おなご石」にも刻まれている。この立石を中心に岩が半円状に配置されていたと思われる。』
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朝日新聞記事より…『「日本のピラミッド」と呼ばれている山がある。秋田県鹿角市の黒又山だ。標高差80メートルの三角山を、誰がピラミッドと言い出したのか。明確ではないが、画家の鳥谷幡山が描いた絵によって1942(昭和17)年ぐらいまで遡れる。考古学者らが現地で調査を行ったのは90年代のことだ。「クロマンタ研究」(第3次黒又山総合調査報告書)によれば、山の斜面に人工的な構造を示す地中レーダー反応があった。発掘には至っていないが、調査団は階段ピラミッド状の祭祀遺跡ではないかと推理した。好奇心をあおられ、黒又山へと向かった。山頂までの坂を上ったが、ピラミッドらしき構造は見られなかった。目についたのは登山口にある鳥居や山頂に鎮座する本宮神社、周囲に点在する二つの小祠や水槽だ。それらを元に黒又山の正体に迫れるかもしれない。ただし、郷土資料を開いても、手がかりは得られない。山のふもとにある宮野平地区の元自治会長、柳沢悦郎氏に話を聞いてみることにした。本宮神社の縁起は、本宮徳次郎という医者が黒又山に薬師如来を祀ったことに始まる。そこはイカリソウなど漢方の薬草が生えることで知られる。山頂のほこらには目の病気を治す神様が祀られ、水槽は目を洗うためのものだったという。黒又山では雷があまり鳴らず、水は甘いとも言われる。本宮神社は古来、人々の医療や健康を守る聖地だったのだ。「ひょっとすれば本宮神社は熊野本宮と関係があったのではないかと思うんです」柳沢氏はそう推理する。熊野の山伏が黒又山で薬草を見つけ、地域に根づいて開発を行ったとしても、ありえない話ではない。ピラミッドと騒がれる黒又山には、他にも知られざる側面がありそうだ。本宮神社の例祭は旧暦4月8日。今では親類や客人を家に招いてごちそうする風習は見かけなくなったが、柳沢氏は鳥居の前に祭礼の幡を立てることを欠かさない。祭りが終われば、黒又山にも本格的に春が訪れる。』
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秋田県神社庁より…『鹿角市十和田大湯字宮ノ平。宮司和田学。御祭神大己貴命、誉田別命、火武主比命、保食神。例祭4月8日。創立年代不詳。社伝によれば、万治己亥2年に中通四ヶ村一同にて、大己貴命を祭神とする神社を建立したとされる。別伝によれば、阿倍貞任の一門の本宮徳次郎が、薬師堂を建立したのが、創祀といわれる。本宮神社の社名は、明治以降のものである。慶長3年の創建という伝えもある。明治40年9月、字倉沢稲倉神社、字風張愛宕神社、字宮野平八幡神社を合併する。大正4年1月、大湯町大湯神明社に合併される。昭和27年9月、神明社より分祀し創立す。』
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黒又山頂上です。山道は整備されていますが、軽い気持ちで来たので結構疲れました。
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8.5
手水石。
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謎の石。
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拝殿向拝神額。元々は薬師堂とのことで「薬師神社」となっています。
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拝殿内神額。こちらもやはり「薬師神社」です。奥の本殿横には「本宮神社」ともあります。
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本殿。薬師如来が祀られています。
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小祠。何かはわかりません。
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小祠。
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薬師如来でしょうね。
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