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秋田県鹿角市十和田大湯狐崎。大湯古館の境くらいに鎮座。ちょっと悩ましいのが鳥居の額束の「木」の字の一部が消えており、「下」にも見えるということ。近くに本宮神社があるので下ノ宮神社なのかなって思いましたが。なお、裏側には「平成29年3月吉日風張自治会」とありました。
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山に登ります。
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大湯鹿倉城古館に位置します。
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かつての大湯村。戦国期には見える村名で、鹿角由来記には「大湯村、大湯左衛門家来領知。本名奈良の惣領也。嫡子四郎左衛門、二男治郎左衛門、三男彦左衛門。右四郎左衛門天正十九年の九戸へ一味仕り、生捕られ、九戸と一処に三迫にて切腹。治郎左衛門・彦左衛門は津軽へ落行、後に次(治)郎左衛門召出され知行二百石拝領す。彦左衛門は津軽に奉公す。大湯村、後には大湯五兵衛領知」とあります(南部叢書)。奥々風土記には大湯五兵衛の天正年中の居城という古城跡大湯城の記録があり、鹿角志に「大湯五兵衛は、南部の一門毛馬内靫負が従弟也、大湯・小坂にて知行二千石領するなり」と見えます。中世の奈良一族が九戸の乱によって勢力を縮小し、更に南部一族大湯氏に領主の交代した様子が伺えます。邦内郷村志によりますと、蔵入高174石余・給分采地443石余、馬146、戸数125(うち上町46・下町32・上之湯13・下之湯22、枝郷に当たる折戸・山中・白沢・土沢・集ノ宮新田分12)。普門山大円寺があり、曹洞宗で最上黒滝白川寺末。盛岡報恩寺支配。集宮をまつります。大湯から25里、三戸地区関村から25里の所に山中巡検使休息の一家がありました。東方3里余の山中には不老倉銅山がありました。天保郷帳では1,035石。奥々風土記には、大湯駅が鹿角郡内五駅の1つであること、薬師神社には慶長13年の棟札のあること、大湯温泉は万病に験あり、ことに悪瘡にきくこと、老若男女が年中絶え間なく入湯に集まることを記します。大円寺は天文5年創建で毛馬内氏菩提所。天明8年古川古松軒も湯の出口は4か所で2か所は疝気・中風に効くなどと書いています(東遊雑記)。大湯温泉街から南西の黒又山麓風張・宮野平方面の台地への登り坂は在郷坂と呼ばれましたが、それは大湯の高台にある和町一帯に同心たちの住む武家屋敷が並んでいたからです。来満街道の駅場であることが鹿角五駅の1つに数えられる理由ですが、津軽領・秋田領とも近い関係にあったのも武家屋敷の存在した理由。明治5年には大洪水があり大円寺も被害を受けています。
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手水石。
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石碑。読み取れず。
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石祠が3基あります。由緒等についてはわかりませんでした。
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中央の石祠。
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足手荒神でした。この地方にもあるんですね。
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両隣は不明。
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11.5
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