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社号標(皇太子殿下東北行啓紀念、明治41年10月16日)。
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御神木が伐採されていました。
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3.5
二之鳥居。
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手水舎。
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御祭神は天照皇大神。創建不詳。当社神職系図(安政2年8月書上表控)から見て天正以前であることは明らかです。古くは深山大権現と称しており、また、境内に巨木茂り、更に藤の古木が連なり、通称藤林と云われており、それにまつわる種々の伝説が残されています。古くより神威の聞こえ高く、往時、津軽藩主何程の事やあると、社前を騎馬にて乗り過ぎた時、馬が木の根につまづいて落馬。人々は神威を恐れましたが、藩主は大いに怒り、以後藩庁へは祭神名を変えた届けを出して明治に至ります。明治6年4月高樋、十二川原両村の産土神として村社に列せられます。田舎館村の春を呼ぶ「権現様まつり」の際には当神社にて参拝。
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その他、由緒等は以前の記事を参照下さい。
7
7.5
8
石灯篭二対(嘉永3年、大正13年7月16日除厄記念※嘉永の方は自信なし)。
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9.2
9.3
9.4
9.6
狛犬一対。
10
10.5
こちらも紀年銘は微妙に読み取れず。明治の…10月16日。
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本殿。
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境内社の八幡宮。
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鳥居扁額(川崎芳美奉納)。
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御祭神は譽田別尊。
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社殿内。
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こちらの建物は不明。倉庫(祭具庫)かな。
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忠勈碑…『三網曰君臣父子夫婦也西洋厚夫婦之和支那重父子之恩神國尊君臣之義而兼他二者矣然而夫婦者禽獣尚有焉父子者蠻戎尚有焉獨於君臣非有道者不能也堂々神國有道君唯仁而臣必忠君唯義而臣必勇仁義者君主保臣民之道而忠勇者臣民奉君主之道也斯道也寔神國之所尊而開國以來一大道也是以臣民益顯彰祖先遺風而奉君主竭國家奮然死不厭焉而後父稱其子之忠婦喜其夫之勇也是則所以冠絶於宇内萬國抑在此也若乃有忘君遺國者實蠻戎耳實禽獣耳父亦耻為子婦亦羞為夫苟食神國之粟為其臣民者誰得無忠勇則有何面目一朝視息邪國體巳如斯故臣民皆不可不忠勇忠勇曰之和魂也夫支那者東洋之大國而人民最多露西亞者西洋之強國而兵衆甚暴然挫之于一撃之中猶椎割卵者何哉之全雖在天皇威徳亦以因臣民忠勇者也嗚呼韙哉忠勇後代臣民其勉旃應高樋・十二川原村人之囑 天震橘正恕撰』(裏面は明治27、8年戦役出征軍人名等々)
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石鳥居御手洗水石敷石寄附人名碑(大正14年11月25日、社掌鈴木武城、発起者品川松太郎、小野新八、石工富澤嘉一)。
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日支事変一周年紀念(昭和13年7月7日松堂書)。裏面「本殿柵並大鳥居改築寄附金芳名」。
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境内から見る田舎館駅
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