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秋田市大町3丁目。
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俵屋火事(明治19年)の後、那波家が敷地内に建設した神社。御祭神は一般的には火之迦具土大神。
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手水舎。
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ステンドグラスが施された覆屋の中に織部灯籠があります。江戸時代の武将・茶人である古田織部(古田重然)好みの灯籠ということで「織部」の名が着せられている灯籠です。石竿に十字模様や聖人のようにも見える石像が刻まれていることから切支丹灯籠とも呼ばれていますが、実際には地蔵菩薩に見え、織部灯籠をキリシタン遺物と結びつける俗説が現れたのは昭和初期からでありエビデンスはないようです。火袋が失われていますが、確かに大鳥神社(東京都目黒区)などで見た切支丹灯籠と同型のものです。いずれにしましてもこの灯籠が隠れキリシタンによる礼拝対象物であったかどうかは、私にお答えできるレベルの話ではございません。
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パンフレットには『俵屋火事(明治19年)の後、那波家が敷地内に建設した神社。火の伏せの神を祀っています。境内には日本に5体しかないと言われる「マリア観音像」があります。』とあります。
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ちなみにステンドグラスが施された覆屋の中に「ご自由にお読みください。マリア伝説シリーズ」と書かれた入れ物がありましたが、肝心の中身が無くて残念。
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無智大明神(昭和16年2月23日・川反三丁目願主成見永助外丁内有志一同)。神仏混淆的な石碑と思いましたが、「二〇世紀ひみつ基地」というHPにて『秋田市史叢書6「屋敷神・講・祠資料」』の内容が紹介されており、それによりますと「町内で小間物屋を営んでいた成見永助の次女キヨは、結婚して娘が生まれたが産後の肥立ちが悪く回復が長引いていた。思いあぐねた永助夫妻は、エジコ(イタコ)に伺いを立てる。エジコのお告げはつぎのような内容だった。そのむかし、藩制時代このあたり一帯は薮原でキツネやムジナが住んでいたが、明治の御代になり少しずつ家が建ちはじめたため、キツネもムジナも住む場所がなくなり、そのうちのムジナが産後の娘に宿った。だからムジナの棲むところを作ってやれば、ムジナはそちらに移って娘の病気が治る。両親は早速町内の人々に相談し、秋葉神社の境内に祠を建て、無智(ムジナ)大明神として碑を建立したところ、霊験あらたか、娘の病状もしだいに正常になり、生まれた孫娘も健やかに育った。エジコから教えられた通りに、頂いた御幣を縁の下に入れておいたが、ある日覗いたら御幣はなくなっていたという。」とのこと。
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秋葉神社拝殿向拝。
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社殿内。
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