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弘前大学医学部医学科。大黒松小公園内。
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大黒松小公園の「大黒松」の由来として『弘前大学医学部三十年史』に次のように書かれています。
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「あの松の下で、ある老人が『○○が殿様から功により五十石加増の話があった時、加増より松が欲しいと申し出て頂いたものだ。それで五十石松というのだ。天守閣への登坂左手の松と、養生幼稚園の松と共に弘前三大名松の一つだと言って去った』と巡視の高谷の話である。」
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本町の坪田繁樹医師の話によりますと、「山野元命が信寿公から貰った松で、はじめは現在の医学部図書館に下り行く道の傍にあり『大清水松』と呼んだそうです。山野家の跡は工藤十三雄宅に変わり、昭和10年朝陽小学校が新築された時に、松は玄関前に移植された。」そうです。
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慰霊碑の周りには、大黒松を中心に、ケヤキ、コブシ、ヒマラヤシーダ、カシワ、アブラチャン、カツラ、ドウダンツツジ、ドイツトウヒが配置され、ベニカナメモチ・レッドロビンの垣根で囲まれた公園は、慰霊碑とともに長勝寺から移設されたベンチに腰掛ける市民や旅行者の姿も見受けられ、弘前の新名所となっています。
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献体之碑。
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信教の自由が保証されている我が国の国立大学が特定の宗教下で公の行事を持つことへの社会の批判があり、弘前大学医学部教授会に「解剖体慰霊祭あり方委員会」が組織され、幾度となく議論が重ねられました。その中で、かつて長勝寺境内(弘前市西茂森)に置かれていた弘前大学納骨堂を、新たに弘前市墓地公園(弘前市小沢)に設けられた長期納骨施設へ移されることになりました。それに伴い、長勝寺境内にあった解剖体慰霊碑「献体之碑」を医学部基礎研究棟構内北西角の大黒松区画へ移転することになりました。平成10年10月19日、みちのく銀行20周年記念助成金を受けて、大黒松区画は大黒松小公園として環境整備され、公園の中心に「献体之碑」が建立されました。碑の題字は当時医学部長であった東野修治先生(弘前大学名誉教授)の揮毫で、碑文はこの碑の趣旨が刻まれています。
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献体之碑…『この碑は、御遺体を医学の教育と研究のため弘前大学医学部に提供していただいた方がたの尊い御遺志を末永く称え、医学にたずさわる者が、その御期待に応える責任を自覚するために造られたものです。平成二年十月弘前大学医学部』
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