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「まほろば唐松・中世の館唐松城」。唐松城は、唐松岳の麓から山頂にかけて築かれた空堀や土塁が残る中世城館。この地は、16世紀末頃に、湊城(秋田市土崎)等を拠点とする安東氏、横手盆地北部を拠点とする戸沢氏、同南部を拠点とする小野寺氏の勢力が対峙した要衝であり、度々戦が行われた古戦場です。
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秋田県大仙市協和境唐松岳。
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『唐松とは、物部伝承によると古代神功皇后が朝鮮半島の新羅を討征し、その後、この地に遠征して韓服(唐松)神社を祀ったことからこの名があるといわれている。唐松城は平安時代、陸奥の郡之司であった阿部貞任の弟、境講師官照の強固な城であったが康平6年(1063)に源義家(八幡太郎義家)の攻撃にあい落城したと言い伝えられている中世の末期には羽州、淀川、繁街道の重要な分岐点であった唐松城周辺は、檜山(能代市)並びに湊(秋田市土崎)に拠点を置く安東氏の最前線基地として、数々の凄惨を極めた戦いが繰り広げられた古戦場である。』
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『伝説によると平安末期、陸奥の郡之司であった、安倍貞任の弟、境講師官照がここに館を築き一帯を支配していたが、前九年の役の後(康平六年、1063年)で源頼義、義家の攻撃にあい落城したと伝えられる。また、中世末期の頃は、安東、戸沢、小野寺の勢力があい拮抗し、覇を競うこととなるが、淀川を挟んで秋田寄りの地帯は安東氏の勢力下と推測されるため、唐松城もある時期に於いては、安東氏の最前線基地であったと考えられる。そして天正十五年(1587年)には、各勢力がこの地で激突し、世に言う「唐松野合戦」が起こった。このような言い伝えや歴史をもとに、ここに中世の館「唐松城」を建設しました。』
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「協和福祉チャリティー唐松城物語民謡舞踊芸能発表会記念碑」・「びんだれ山のど自慢全国大会発祥の地、大会会長佐藤裕男」・記念碑誌「平成3年より平成18年まで社会福祉の向上を目的に能楽殿において毎年福祉チャリティー芸能発表大会を開催し、大会の発展に協賛された方々の名を刻し永くその栄譽をたたえるものであります。平成20年6月吉日実行委員長佐藤裕男」。
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こうえんをきれいにしましょう(平成9年10月吉日)。
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秋田県喜多流謡曲碑「佐竹氏入部四百年記念並びに石川泉翁顕彰」(平成13年5月吉日秋田県喜多流)。
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まほろば唐松「日本の桜園」…『私達「唐松岳自然公園愛護会」の先輩が今日の「まほろば唐松」構想を夢に描き、同志の集いとして行動をはじめてから、今年で50年を迎え、私達「唐松岳自然公園愛護会」は、この先輩の偉業を称えると共に「まほろば唐松」が今後とも素晴らしい発展を願い、ここに、まほろば唐松「日本桜園」を設置したものであります。平成24年11月18日唐松岳自然公園愛護会』
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ってことで…
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開館時間が午前9時-午後4時30分。ギリギリ間に合いませんでした。しかも定休日が毎週月曜日…月曜日でした笑
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唐松城跡については自由に散策することができそうですが、京都西本願寺の北能舞台を模して作られた「能楽殿」を最大の目的としていたので、心が折れてやめました…いつかリベンジします。
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唐松城案内図。
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唐松神社鎮守の杜。
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淀川。
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唐松橋。
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親柱。
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