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秋田県能代市二ツ井町。
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藤琴川と米代川の合流地点付近。近くには道の駅ふたついや加護山精錬所跡などもあります。 
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きみまち阪(きみまちざか、徯后坂)は、秋田県能代市二ツ井町にある県立自然公園。秋田県有数の桜、ツツジ、紅葉の名所で、デートスポットとしても有名です。
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きみまち阪公園案内図。頂上付近まで車で行けるんですね。この記事では第1広場の一部のみ紹介します。なお、頂上付近には駐車場ときみまち阪キャンプ場があります。きみまち阪キャンプ場から徒歩で山頂に登ると二ツ井テレビ・FM中継局があり、二ツ井町や藤里町、日本海を遠望でき、素晴らしい風景を見ることができるそうです。また、きみまち阪の山頂部からは高岩神社までの山道が続いているそうです。
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きみまち阪のビューポイント。
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きみまち阪標柱。
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坂を上って行きます。
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坂下。
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坂上。
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途中に大師岩遙拝所がありました。大師岩って切通の道(御幸橋)方面に見えるあれかな。
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大師岩遙拝所…『昔この付近の町村は米代川を交通路として交易してきた。当時小繋、荷上場間は必ず舟を利用し、人馬及び物資の揚げおろしをしていたのである。激流の米代川は渡し舟の事故も多く加えて氾濫による困難などがあった。いわゆる天下の難所といわれた。ここは徒歩で一里の時間を要したことから一里渡と称せられた。過ぐる明治天皇ご巡幸に際し郭公坂(現在の徯后阪)を開通した折、これまで唯一の交通路であった米代川を大師様が祈るような姿をした岩を発見した。当時の人は大師岩がこの難所の安全を守る神様として、通るときは必ずお祈りをして行くようになったと謂われている。』
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あんべひでお詩碑…『こうしなければならないから こうしているのだというふうに 自分の降りてゆく路を 大きな目玉をあけて確かめながら 雪はゆっくりしたおもいで降っているようだ』
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話は変わりますが歴史的なことをちょっと…安永3年、きみまち阪と藤琴川の間に加護山製錬所が作られました。ここでは阿仁鉱山や太良鉱山などの鉱石を南蛮吹きという技術で製錬。技術指導のために江戸から平賀源内らも招かれています。明治27年に能代へ移転するまでこの地に多くの人が住み、他の地区からは隔離された別天地となっていました。
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享和2年に菅江真澄がきみまち阪を訪れ、現在のきみまち阪公園第2広場を横切り、高岩神社に参拝。その際に七座山を含めた俯瞰図を菅江真澄は残しています。
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明治元年に戊辰戦争で盛岡藩に大館城を攻略された久保田藩は、きみまち阪を防御地点に設定し、官軍からの援軍を待つ作戦をとりました。久保田藩は兵の数でも武器の性能でも劣っていましたが、地形を利用して援軍到着まで持ちこたえることができました(※実際に交戦がおこなわれた場所はきみまち阪の手前の山。詳細はWikipediaか何かで「きみまち阪周辺の戦い」を参照して下さい)。
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元々は米代川の川岸にまで迫る険しい山で、「郭公坂」「馬上坂」「畜生坂」などと呼ばれ、羽州街道でも「徒歩道無し」として水上を正規の道に指定されるなど最大の難所とされた場所でした。その距離は1km程度でしたが、1里(約4km)に匹敵する難儀な道といわれ、下流側の荷上場村と上流側の小繋村の間で行われた船渡しは「一里の渡し」と呼ばれました。船渡しを利用できない場合は橋の無い藤琴川を徒歩で渡り、絶壁をよじ登って越えなければならなかったそうです。あるいは荷上場村から藤琴川を北上し、大沢村を通って大沢川を遡り、二の又村から峠を越え、田子ヶ沢村から綴子川を下り綴子村に到るというかなり遠回りの間道を通らなければいけませんでした。
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下にある第1広場でも眼下には雄大な米代川と七座山が楽しめます。この公園一帯が全国でも有数なパワースポットとなっており、対岸の七座山を龍に見立て、米代川の水を龍が飲んでいるという構図になり、「龍穴格局」というタイプのスポットです。
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大きなハートがありました。
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大きなハート付近。
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恋文ポスト。
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このポストから投函された手紙にはハート型の消印が押されるそうです。
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七座山マップ。
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これは何でしょうね。
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「手づくり郷土賞・建設大臣綿貫民輔書・ふるさとの坂道三十選・平成2年7月寄贈(社)東北建設協会」とありました。
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台座碑文「白ねずみ物語」…『むかし、十和田湖の主、八郎太郎竜王が南祖坊との戦いに敗れ、米代川を下ってきたとき、傒后坂と八座が迫っている間をせき止め住かにした。おもしろくないのかこの地を護る天神様、白い紙の切絵に息を吹きかけ、おびただしい数の白ねずみをつくり、八座に穴を開けさせた。怒り狂った八郎太郎竜王は、雲を呼び、雨を降らし大暴れした。八座のうち一座は濁流の渦に押し流され七座となり、八郎太郎竜王は男鹿の方へ移り住んだ。』
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案内板「ようこそ恋文の街ふたついへ」。
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案内板「明治天皇ゆかりの地徯后阪」より…『「きみまち阪公園」は、二ツ井を代表する観光名所のひとつ。この公園は、明治天皇ゆかりの地でもあります。明治14年(1881)の明治天皇東北御巡幸に向けて、前年にそれまで険しかった山の先端を切り通し、ゆるやかな坂道がつくられました。翌年9月13日、天皇は御巡幸の折に二ツ井に立ち寄り、藤琴橋に架けられた橋を渡り初めされました。この際、長旅を気遣う皇后が宛てた手紙がここで天皇の到着をお待ちしていたと言い伝えられています。手紙には「大宮のうちにありてもあつき日をいかなる山か君はこゆらむ」という恋の歌がしたためられていました。この場所は、御巡幸翌年の明治15年(1882)に明治天皇により「徯后阪」という美しい名称を賜りました。この出来事が、二ツ井が「恋文のまち」と呼ばれる由縁となっています。』
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昭憲皇太后(明治天皇妃)御歌碑…『きみまち阪公園内の歌碑には、明治天皇の夏の長旅を気遣う愛しい和歌の御文が記されている。』
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切通の道…『明治天皇の思い出の道。公園側から御幸橋を渡り、岩壁の通路を抜けると昭憲皇太后の御歌碑がある。』
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恋文ギャラリーときみ恋カフェ。
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明治14年にこの地を訪れた明治天皇がその美しさに感動して「傒后阪」と名付けましたが、その際に夏の長旅を気遣う皇后からの手紙(恋文)がここで天皇をお待ちしていたというエピソードが残されています。この逸話にちなんで「きみまち恋文全国コンテスト」が1994年から2004年まで開催され、全国から多くのラブレターが寄せられて一大ブームとなったそうです。この時の恋文が「恋文ギャラリー」に保管されています。
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断崖絶壁の屏風岩が聳え立ちます。
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往時の険しさを物語っています。
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現在のきみまち阪は公園として整備され、絶壁内部の公園部分は多くの樹木に覆われていますが、大正時代の写真では、草地に数多くの大きな白い岩が点在する荒々しい様子をうかがうことができます。
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きみまち阪のシンボルともいえる第一広場の屏風岩は、四季折々に表情を変え、春は桜、秋は紅葉等の木々が織りなす雄大な景色を見せてくれます。
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散策。
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適当に写真を撮りながら歩いてます。
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天気が良ければ一日中ゆったりできそうな場所ですね。
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この先に進めば第2広場、第3広場方面へ行きます。
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ってことで少し休憩。
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ベンチに座って…
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景色を楽しみます。
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邪魔が入ったので散策再開。
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きみまちの鐘へ。
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きみまちの鐘。
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後方に見えるのは屏風岩。
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2回鳴らしておきました。
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恋人同士で鳴らすとずっと一緒にいられるというジンクスがあるそうです。
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邪魔が入ったので散策再開。
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巨石だらけです。
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恋文神社へ。
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屏風岩の麓付近です。
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恋文神社の周囲も巨石に囲まれています。
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絵馬掛け所。ハート型の絵馬はきみ恋カフェで。
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夫婦杉。
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夫婦杉の間から拝む縁結びの神社…縁起がいいですね。
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小祠です。
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石祠の中の棟札らしき札は暗くてよく見えませんでしたが、1994年から2004年まで開催された秋田県二ツ井町の町興しイベント「恋文コンテスト」と連動して「恋文神社」が建てられたそうです。
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ちなみに今までの恋文コンテストの作品は、高校国語の教科書に採用されたり、ドイツ語版や台湾版となって海外で発売されているそうですよ。
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