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岩手県盛岡市名須川町。瑞鳩峰山報恩寺。御本尊釈迦如来。大光山聖壽禪寺、大寶山東禪寺、寶珠盛岡山永福寺、雍護山敎淨寺とともに盛岡五山(盛岡五個寺とも)の一つ。開山通山長徹大和尚(新潟県柏崎市香積寺5世)。開基南部守行公。
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山門。
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3.5
「瑞鳩峰山」の横額。
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詳細については下記参照。
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仁王像。
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案内板より…『報恩寺は応永元年(1394)南部家十三代の英主守行公によって三戸に創建され、慶長6年(1601)27代利直公のとき現在地に移転された。藩制時代は寺領二百石を有する南部領内二百八カ寺の総領であった。現在も寺域七干坪を有する曹洞宗一方の勝利である。本尊釈迦文殊普賢の三尊像は元大和中善寺本尊像で聖徳太子作と伝え、羅漢堂の中尊毘盧舎那仏は元大和橘寺金堂本尊像で弘法大師作と伝えている。市文化財指定の羅漢堂及び五百羅漢像は享保20年(1735)の落成開光で、像は中国天台山像を摸して京都で作製されている。本堂背後の坐禅堂には文殊菩薩を中心に50人分の禅床がめぐらされている。「瑞鳩峰山」の扁額を掲げる三門楼上には十一面観音がまつられている。』
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通用門。
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中門と鐘楼。いずれも詳細については下記参照
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中門。
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鐘楼。
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梵鐘。
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地蔵尊。
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聖観音。
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鋳金原型堂、五重塔、本堂再建記念碑。
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庫裡。
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衆寮・書院。
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羅漢堂。
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「羅漢堂」盛岡侍従源利剛書。
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案内板「五百羅漢」より…『この報恩寺を含む北山一帯は石川啄木がまだ盛岡中学にあって文学に親しみはじめたころ、好んで吟行の杖をひいたところである。彼の処女詩集「あこがれ」に収めら れた「落瓦の賦」のはしがきには、「幾年の前なりけむ、猶社陵の学舎にありし頃、秋のひと日、友と城外北邸のほとりに名たる古刹を訪ひて、菩提老樹の風に嘘ぶく所、琴者胡弓を按じて沈思頗る興に入れるを見たる事あり。年進み時流れて、今寒寺寂心の身、一タ銅鉦の揺曳に心動き、追懐の情禁じ難く、乃ち筆を取りてこの一篇を草しぬ。」と書き残している。ここにある「古刹」とは報恩寺また、「寒寺」とあるのは、啄木が育った故郷渋民の宝徳寺のことであり、この詩の生まれたのは明治36年2月16日夜のことで、啄木18歳の早春である。この詩の最後の章は次のようなものであった。「琴を抱いて、目をあげて、無垢の百蓮、蔓陀羅華、靄と香を吹き霊の座をめぐると聞ける西の方、涙のごひて眺むれば、澄みたる空に秋の雲、今か黄金の色流し、空廊百代の夢深き、伽藍一タ風もなく俄かに壊れほろぶ如、或は天授の爪ぶりに一生の望み奏で了へし、巨人終焉に入る如く、暗の戦呼をあとに見て、光の幕を引き納め、暮暉天路に沈みたり。」』
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案内板「報恩寺五百羅漢」より…『鳩峰山報恩寺は、旧盛岡藩における曹洞宗の名高い寺である。五百羅漢は当時第17世曇樹一華が願主となり享保16年(1731)から造立をはじめ同20年(1735)8月20日、落慶供養をいとなんだものである。尊像制作者は、京都の仏師法橋宗而重賢、駒野定英珍盈(ちんえい)、駒野丹下定孝ら9人。このように短期間に完成し、しかも木彫で、五百羅漢の数値にかなうような躯数が現存し、造立年代や願主、制作者まで明確に知りうることは全国的にみてもまれなことである。昭和41年10月18日、盛岡市文化財指定。現存の羅漢堂は、嘉永4年(1851)7月20日の再建。昭和45年2月25日、盛岡市文化財指定。』
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盛岡市組總代招魂碑、一倉貫一君碑、陸軍歩兵少尉正八位勲六等功五級駒嶺忠男君墓碑、針供養塔などなど。
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パンフレットより…『【寺歴と沿革】山を「瑞鳩峰山」と号し、寺を「報恩禅寺」と称するこの寺は、応永元年(1394)南部家十三代の英主守行公によって三戸の八幡山下に創建され、慶長6年(1601)27代利直公のとき現在地に移転された。創建以来600年、移転以来400年の寺歴を有する。寺域7千坪、末寺30カ寺、藩政時代には、寺領200石、南部領内曹洞宗208カ寺の総録であった。現在は、最近まで禅修行の専門僧堂として知られ、地域の参禅道場ともなっている。【建物と仏像】・本堂…昭和35年類焼により全焼、同39年に再建された。本尊釈迦牟尼仏像は、脇侍の文殊・普賢二菩薩像と共に、聖徳太子作と伝え、元奈良中善寺の本尊像といわれて京都に出ていた古仏像で、享保年中、当寺に迎えられた。仏殿奥には開山堂がある。・坐禅堂…本堂の裏側にあり、聖僧文殊大士を中心にまつり、その周辺に34人の坐禅修行の巣牀が巡らされている。昭和16年の新築。・羅漢堂…享保20年(1735)に建造され、嘉永4年(1851)に改築された。中央の大仏盧舎那仏像は、弘法大師作と伝え、韓国からの渡来仏と伝える前立ちの善財童子と八歳竜女の二像と共に、元大和橘寺の本尊像であったといわれ、京都に出ていて、享保年中、当寺に迎えられた。盧舎那仏の両側は、釈尊の十大弟子像と十六羅漢像、周辺壇上が五百羅漢像である。享保年中、中国の天台山像を模して京都で造られ、当寺に搬送された。造像者は、駒野丹下ほか9人の仏師。・祠堂殿…檀家の位牌堂、平成3年新築。・山門…空門、無相門、無作門の三門形式の場合は「三門」といっていいが、そうでなく、真門一門形式であるから、むしろ「山門」という通称を用いた方がいい。昭和53年の新築。眉間の「瑞鳩峰山」の横額は、本堂の「報恩禅寺」の横額と共に、永平寺76世明峰慧玉禅師のご揮毫、左右の仁王像は竹内勝山作、慧玉禅師のご寄進像である。楼上には、白山権現(十一面観音)を中心に、秋葉三尺坊と、倶利伽羅不動の二尊像がまつられている。・中門…報恩寺の旧山門で、山門新築までは、現山門の位置に建てられていた。元盛岡城内の一門であったといわれる。・鐘楼…昭和53年の新築で、梵鐘は、同50年の鋳造。旧使用の元禄11年鋳造の古梵鐘は、現在鋳金原型堂内に陳列されている。・庫裡…昭和5年に焼失、楢山佐渡切腹の間もそのとき焼失した。現庫裡は、昭和8年の再建。・書院…昭和62年の増築。ここに坐して庭園が見られる。・文化財としては、現在、羅漢堂とその上棟札、五百羅漢像499体、元禄の古梵鐘、裏山にある天保の蓮華八角塔の4点が盛岡市指定の有形文化財となっている。【羅漢堂内の説明】羅漢堂の内部は、華厳殿になっている。釈迦のおさとりの世界を書いたお経を華厳経といい、そこに書かれている大宇宙を華厳世界、または、華厳法界といっている。その華厳法界を象徴するものが、華厳殿である。中央の大仏像は、釈迦のおさとりの世界をあらわす仏像で、華厳教主盧舎那仏と申しあげ、略して、華厳の釈迦、または、宝冠の釈迦と申しあげている。前面左右に立つ童子像は、華厳経の中に出て来る求道者善財童子と、法華経の中に出て来る求法者八歳竜女で、一心に法を求めて道に精進すれば、いつしか華厳法界に入っている自分に気付くことができる、ということが物語られている。中央両側の立像は、釈尊の十大弟子像、坐像は、十六羅漢像である。十大弟子のお名前は、智慧第一の舎利弗尊者、神通第一の目犍連尊者、頭陀行第一の大迦葉尊者、天眼第一の阿那律尊者、解空第一の須菩提尊者、説法第一の富楼那尊者、論議第一の迦旃延尊者、持律第一の優波離尊者、密行第一の羅喉羅尊者、多聞第一の阿難陀尊者。十六羅漢のお名前は、第一賓度羅跋羅堕闍尊者、第二迦諾迦伐蹉尊者、第三迦諾迦跋釐堕闍尊者、第四蘇頻陀尊者、第五諾距羅尊者、第六跋陀羅尊者、第七迦理迦尊者、第八伐闍羅弗多羅尊者、第九戍博迦尊者、第十半托迦尊者、第十一羅怙羅尊者、第十二那伽犀那尊者、第十三因掲陀尊者、第十四伐那婆斯尊者、第十五阿氏多尊者、第十六注荼半託迦尊者。左側、右側、入口の壇上は、華厳法界の雲上や巖上をあらわし、その雲上や巖上に、仏勅を受けた五百羅漢尊者が、いろいろのお姿、お顔をして持法三昧に入っておられる。仏勅とは、すべての菩薩が、弘法の念に燃えて人々を救いに世の中に出ていかれたあと、ひとりの山の中に止って後世のために純粋に法を持ちつづけるようにという、法の命令である。羅漢とは、インド名アラハト(阿羅漢)の略称で、応供、人の供養を受けるにふさわしい聖者という意味である。五百とは、五百人に限定する数字ではない。多い事を表わす数字である。十六羅漢尊者は何れも多数の眷屬を持ち合計二万余の眷屬を従えているといわれるが、この場合も多くの眷屬羅漢の意味である。羅漢さまは、どの羅漢さまも皆持法三昧の行に入っておられるのである。したがって羅漢堂、すなわち華厳殿は、そのまま華厳の行者の行場華厳窟でもある。羅漢堂が御殿造りではなく、土蔵造りになっていることや、中央板の間の大天井に狩野林泉筆八方にらみの龍が画かれていることなどをお考えいただき、羅漢堂内拝観は、坐禅堂内拝観と同様、静粛におねがいしたいのである。【鋳金原型堂】岩手県は昔から鉄、銅器の産地で大きいものはまず石膏で原型を作って鋳造された。その原型の中の大作、名作が報恩寺に陳列されている。主な陳列品…桜山神社灯籠と偏額、宮中献上花瓶と金鵄、農民一揆像、横川省三像、その他の人物像。【盛岡三十三所第二十七番観音】報恩寺は「松坂観音」といわれる観音の霊場でもあった。昭和35年本堂全焼のとき、聖観音、三十三体観音を焼失したが、三十三体中の第二十三番十一面観音のみ焼失をまぬかれ現存し、本堂西室中にまつられていて、盛岡三十三観音霊場第二十七番札所となっている。【報恩寺歴住名(建物変遷史)】開山通山長徹大和尚(新潟県柏崎市香積寺五世)2.久山舜慶(法地開闢)3.幸獄東慶(末寺一寺開山)4.養山玄想(盛岡移転・一寺開山)5.鳳庵存竜(二寺開山)6.善室梵積(四寺開山)7.慶室恕悦(六寺開山)8.覚雲宗悟(焼失再建)9.蘭翁嫩芝(六寺開山)10.天山宝鏡(二寺開山)11.仏山祖心(五寺開山)12.王峰巨函13.文嶺喬志(梵鐘新鋳・一寺開山)14.全補密山15.恵灯愚聞16.一葉孤舟17.曇樹一華(羅漢堂建造)18.大華月休19.大愚智哲20.徳岩梁雄21.泰堂可全22.心鏡海印(本堂改築・羅漢堂改築・一寺開山)23.連珠蔵海24.偉運契勇25.心月智明26.郁堂梅賢27.泰中喜道28.大安哲道29.柏庭旭庵30.鶴湛文英31.大道無外32.大雲祖岳33.慈岳大円34.祖祥大麟(一寺開山・庫裡再建・禅堂新築)35.玄秀文爾(本堂再建)36.鷲峰霊林37.真量大徹(山門新築・鐘楼改築)38.戒学全孝(祠堂殿新築・鳩峰閣新築)』
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中央、本尊釈迦牟尼佛と脇侍文殊・普賢二菩薩。向かって右は曹洞宗の高祖承陽大師(福井永平寺開山・道元禅師)。向かって左は太祖常済大師(横浜総持寺開山・瑩山禅師)。
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坐禅堂の内部。
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本堂。
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26.5
本堂内へ。本堂内に拝観受付。
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鋳金原型堂内へ。
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鋳金原型堂の主な陳列品は桜山神社灯籠と偏額、宮中献上花瓶と金鵄、元禄の古梵鐘、農民一揆像、横川省三像、、柳原先生(石鳥谷町)胸像など。
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特に横川省三氏銅像は相当な大きさです。
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羅漢堂へ。土蔵造りです。
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羅漢堂内。
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羅漢堂内中央。中央に釈迦の十大弟子像、左右に十六羅漢像。
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華厳教主盧舎那仏。
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求道者善財童子。
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求法者八歳竜女。
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大天井。
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狩野林泉筆八方にらみの龍。
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三面開運尊天。
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五百羅漢。
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詳細は上記。
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ちなみにこちらは第百番善注尊者(左・中国で1840年ごろよりマルコポーロ像といわれるようになりました)と第百一番法蔵永劫尊者(右・同様にジンギス干の孫フビライ像といわれるようになりました)。
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