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青森県黒石市大字南中野黒森下。泉水とあやめの名所。
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仁王像。
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浄仙寺仁王像(市指定有形文化財・昭和59年10月12日)…『●沿革…元治二年(1865)、弘前市乳井・福王寺(現乳井神社)山門に同村の工藤丹十郎が寄進。明治初年の「廃仏毀釈」で奉納者へ返却後、当寺へ安置。津軽の神仏分離の実態を物語る貴重な像。●意義…浄土である寺院の境内を守護し、山門に祀られてきた。向かって右が阿形の「密迹金剛力士」、左が吽形の「那羅延金剛力士」で一対。●浄仙寺由緒…文政7年(1824)、是空行者が庵を結ぶ。明治8年(1875)、寺号・浄仙寺となる。昭和63年10月黒石市教育委員会』
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案内板「浄仙寺」…『浄仙寺は、文政7年(1824)是空行者によって開かれ、二世寂導行者と共に、修業に専念された浄土宗の寺です。子弟のために法を説き、読み書きを教え、やがて寺子屋「黒森学校」として発展し、津軽一円から数多くの人材を輩出した学問の寺でもあります。現在、境内には秋田雨雀・鳴海要吉・丹羽洋岳等の文学碑があり、「文学の森」として親しまれています。』
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文政7年、是空行者が開山(黒石来迎寺良諦の弟子)。寺宝、御本尊、阿弥陀如来立像(恵心僧都作と伝えます)。是空は中野不動尊境内の洞窟にて断食修行中「これより北の方清泉の湧き出たるところにて修行されよ」との霊告により、黒森山中に至り、清泉(現在本堂脇)を見付けて、終世陰遁修行の地と定め、後に浄仙庵と号し、明治8年浄仙寺となります。
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二世寂導行者は、文政8年、13才にして是空の弟子となり、専ら浄教を修し、師を助けて当寺の開拓整備に尽力され又学僧としても誉れ高く、92才にて入滅。幼少よりよく仏像を彫刻し、一刀彫数千躰に及び、博く信者に施され、遠くは北海道・秋田までも分布されたといわれます。
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四世明空は、明治3年、教師補を拝命し、寺小屋「黒森学校」運営に専念し、津軽一円より学を志すもの多数ここに学びます。政治、経済、有名人多数を輩出。明治40年、明空本堂を新築。昭和19年、火災により本堂、庫裡全焼し、昭和41年本堂再建。
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浄仙寺境内・文学の森案内図。鳴海完造、鳴海要吉、柴田久次郎、丹羽洋岳、秋田雨雀、秋田たき子、中村海六郎、天内浪史、長谷川闇五郎、佐藤雨山、福士一郎、藤田龍雄、竹内二郎の文学碑等、品川弥次郎顕彰碑、念仏石、空洞石が紹介されています。
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最大の目的が「お茶処 松楓亭」のコーヒーと揚げたてドーナッツだったので浄仙寺に関する詳しい由緒等は以前の記事を参照ください。
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天気がいいので少し散策。
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地蔵堂。
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地蔵堂内。地蔵様がたくさんおられました。
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開山上人の墓「宗祖善導大師・圓光大師」。
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色々ありますが細かくは見ておりません。
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ドーナッツ目的だったので。
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浄仙寺墓地。
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空洞石。
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養蠺塔。養蚕です。
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不動堂。
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薬師堂。
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薬師如来。
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