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山形県寒河江市大字慈恩寺字田沢。慈恩寺鎮守社。慈恩寺児童遊園地内。
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鳥居。
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鳥居の横に縁切り地蔵。
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4.5
「交通事故・病気・さいなんから縁を切る」
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慈恩寺参道。熊野神社は寒河江市役所の北西方、本山慈恩寺の参道脇に鎮座。
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神社庁によりますと御祭神は伊弉諾命。他に明治7年官令に依る合祀社九社。
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社号標「熊野神社」(明治35年8月3日建・社掌、氏子惣代)。
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横に「山形縣廳迠距離六里五町拾五間」とあります。
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熊野神社本殿(県指定有形文化財・昭和63年8月23日指定)…『◆建築年代:延宝9年(1681)◆由来:本社は保元元年(1156)、後白河天皇の勅願によって勧請、文治2年(1186)、重ねて院宣を真言門人弘俊阿闍梨に帯せしめて慈恩寺に下し、当社をもって一山の鎮守としたという。その後、永正元年(1504)兵火に罹り、延宝9年再建された。◆構造:「一間社流れ造り」、向拝の繋ぎは海老虹梁、綜のある円柱、板壁、高欄付三方縁、脇障子、棧唐戸を用い、妻飾りは虹梁太瓶束で、拝み、降り向拝部とも蔏懸魚を用い、鰭の装飾に籠彫りを用いている。これら彫刻や装飾に洗練されたものがあり、江戸前期の「一間社流れ造り」の社殿として貴重な遺構といわれる。◆大工棟梁:当山孫七、川越惣左衛門であった。平成4年3月山形県教育委員会・寒河江市教育委員会』
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社殿・石灯籠一対。
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脇参道石灯籠一対。
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御神木。
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拝殿向拝に貼ってあった新聞記事より…『寒河江市の名高い寺、慈恩宗本山慈恩寺のそばに1988(昭和63)年、県有形文化財に指定された熊野神社本殿がある。伝承によると平安時代に後白河天皇の命令で新熊野神社(京都市)の分霊を祭ったのが始まりとされ、現在の本殿は1681(延宝9)年に建てられた。装飾が洗練された一間社流造の建築で江戸時代前期の貴重な社殿とされる。後白河天皇は1155(久寿2)年に即位し58(保元3)年に退位したが、その後も政務に関わり法住寺(京都市)に住んだ。当時は「法住寺殿」と呼ばれ、これを守る神社として後白河上皇は60(永暦元)年、熊野本宮大社(和歌山県)の新宮として京都に新熊野神社を創建した。当時、遠方から熊野本宮への参拝は一生に何度も行けるわけではなく、新熊野神社は都人らの参拝で栄えた。一方、慈恩寺は奈良時代の746(天平18)年、聖武天皇の命令で開かれたと伝わり、霊峰・葉山の麓の丘陵地に一山寺院を形成し修験道場となって盛んに山伏修行が行われた。慈恩寺に後白河法皇の命令で熊野神社が創建されたのは1186(文治2)年と推測され、これ以降、熊野神社が慈恩寺修験の主殿になったとみられる。江戸時代には熊野神社で年間58回の祈願が行われ、慈恩寺の僧侶が熊野権現に祈る「熊野行(くまののおこない)」が毎年7月14日に行われていたという記録がある。創建当初の熊野神社は本殿の他に拝殿を含めて5社殿で構成されていたとされるが、現在地には収まらないため他の場所にあったと推測される。1919(大正8)年の「西村山郡神社誌」によると、室町時代の1504(永正元)年に兵乱で焼失し、江戸時代前期の1681(延宝9)年に現在地に再建されたと伝わる。神社には屋根の修理を記録した2枚の棟札が残されており、1795(寛政7)年に杉皮ぶきを修理し、1953(昭和28)年にトタンぶきに替えたことが分かる。神社の祭神は「眷属最勝老人像」で慈恩寺本堂の宮殿に納められている。神社の建築様式は大きく唐様と和様に分けられ、唐様は柱や組物、妻飾りなど細部が丸みを帯びているが、和様は角張っている。熊野神社本殿は和様で、正面の柱と柱の間が一つ(柱が2本)、曲線を描く屋根が手前に流れるように伸びる一間社流造。大きな特徴として▽屋根に飾りがある▽床が高い▽瓦と土壁を使わない▽質素な装飾-が挙げられる。獅子や竜の細かい彫刻が施され、当時の優秀な装飾技術がうかがえる。同神社の鬼海正雄宮司(94)は「外見は古びているが、かつては色鮮やかな本殿だったようだ。長い歴史の重みを感じつつ地域の宝として後世に伝えていきたい」と話した。』
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本殿上部の柱に彫刻された獅子。
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県指定文化財の本殿は延宝9年(1681)建立で一間社流造。桁行1間(2.73m)、梁間1間(2.43m)、正面に向拝を付し、屋根は鉄板葺(もと茅葺)。三方に高欄付の縁をまわします。向拝との繋ぎは海老虹梁で、軸部は粽のある円柱に頭貫・内法長押・切目長押と板壁があります。正面には桟唐戸を吊っています。『慈恩寺縁起』によりますと、熊野権現が白山権現にかわって慈恩寺一山の鎮守になったのは、保元元年(1156)とされ、社殿建立は文治2年(1186)といわれています。しかし、現在の本殿の建物までには何度かの再建がなされています。
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