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山形県寒河江市大字慈恩寺。学頭。真言宗智山派。高野山龍光院末。御本尊胎蔵界大日如来。明治43年古義真言宗から真言宗智山派に転派。慈恩宗設立後も独立していましたが昭和42年に慈恩宗。下の写真は句碑。
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宝蔵院表門。
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宝蔵院表門附慶長十八年祈祷札(県指定文化財・平成2年12月21日)。時代は慶長年間。木造、1間1戸、4脚袖付、屋根は切妻造鉄板葺(もと茅葺)。昭和26年の山門屋根改修の際、整理された200枚余に及ぶ護摩札の中で、最古の札には慶長18年の紀年銘があり、これから推して、この山門が慈恩寺一山中、最古の建造物と考えられています。門内側の2本の柱の面取りの割合に、鎌倉時代の風が残り、木鼻の形と渦巻文様の先端が細く彫られるなど、室町期の特色をも残しています。江戸時代初期の蟇股が無理に取りつけられるなど、何回かの修復の跡がうかがえます。平成10年に修復。
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『四脚袖付き門で屋根は切り妻造り、建築年代の記録はないが室町様式である。この門には宝蔵院で修行した多くの弟子やこの寺に関係のある僧の護摩札が打ち付けられていた。昭和26年6月、屋根改修の際発見された二百余枚の札の中、最古の札は、慶長18年(1613)のものがあるところから建築年代を想定することができる。慈恩寺山中最古の建造物である。平成4年3月山形県教育委員会・寒河江市教育委員会』
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慈恩寺は3ヵ院48坊からなる一山寺院を形成し、鎮護国家、除災招福を祈願する寺院でした。一山を代表する支配職は、真言方は宝蔵院・華蔵院、天台方は最上院の3ヵ院で、所属の院坊をまとめ、幕府など大檀那への年礼を主としました。現在は3ヵ院17坊が一山を支えます。3ヵ院の宝蔵院は真言宗真言方学頭、享保6年の「拝領高并人数帳写」によりますと、配当高109石余。学頭1、衆徒11院坊、家来8、借地6、102軒ほか末寺、本道寺・大日寺など21。胎蔵界大日如来坐像・金剛界大日如来坐像・不動明王多数・千手観音立像・地蔵菩薩立像・軍茶利明王立像・竹内坊文書などを保有。
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江戸時代の宝蔵院は大きな伽藍でしたが、明治時代に近隣の谷地の宿用院に譲渡され、当時の半分ほどの大きさになっているそうです。宝蔵院は慈恩寺で最も古い院で、平安時代末期に宝蔵院盛実が高野山中院「真言宗龍光院」から印可状を受け末寺となっていましたが、明治43年の法改正以後に京都の真言宗智山派智積院の末寺になりました。宝蔵院は隣の華蔵院と同じ真言宗で学頭は妻帯しない清僧でした。江戸時代の御朱印配当は109石3斗余、配下の坊は11で華蔵院と同じ。現在の配下の坊は2つで檀家数は40余。宝蔵院には昔から御本尊を安置する須弥壇の下の飾り戸の正面が倒れると院坊の関係者、脇の戸が倒れると檀家の人が亡くなるという逸話があるそうです。江戸時代の宝蔵院は21の末寺をもっていました。湯殿山を開いた道智や俳諧に精通した宥勝などの高層を輩出しており、湯殿山四か寺の月光山本道寺(現本道寺口の宮湯殿山神社)や大日寺(現大井沢湯殿山神社)は大きな末寺でした。現在は本山慈恩寺の管長は本院の大阿闍梨慶典師が勤めています。
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四国八十八ヶ所霊場第58番札所作礼山千光院仙遊寺御詠歌「立ち寄りて 作礼の堂に 休みつつ 六字を唱え 経を読むべし」がありました。
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宝篋印塔。
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