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弘前大学文京キャンパス内。
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弘前大学農学生命科学部実験実験圃場。
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弘前大学農学部教授島善鄰先生は、農学部(現農学生命科学部)創設の中心人物であると同時に、大正中期に青森県で発生したリンゴ病害虫の駆除方法を確立し、青森県のリンゴ産業の危機を救ったことから、「リンゴの恩人」と称えられた人物です。
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平成23年10月14日、農学生命科学部の「国際リンゴフォーラム in 弘前」の開催を記念し、青森県の基幹産業であるリンゴに関する記念碑が二基造られました。その一つが農学生命科学部敷地内に建立された「島善鄰先生顕彰碑」。もう一基は、医学部大黒松小公園にある「リンゴ初生りの碑」です。また、平成16年7月20日には弘前大学農学部創設50周年を記念して、農学生命科学部裏庭の記念樹ヒヨクヒバ(イトヒバ)に、「弘前大学農学部創設記念樹」「初代学部長古市誠博士 教授 島善鄰博士 1955年(昭和30年)11月12日 植樹」と記された木標が立てられました。
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島善鄰先生顕彰碑。
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島善鄰(1889年8月27日-1964年8月7日)は、大正中期、青森県のリンゴ栽培が病害虫に襲われた時、県農事試験場技師として来青、弱冠28歳で科学的処方箋を確立し、リンゴ産業の危機を救ったことから「リンゴの恩人」と称えられました。また、昭和29年12月より同33年3月まで、弘前大学教授として、農学部(現農学生命科学部)の基礎を築きました。著書『実験リンゴの研究』は日本最初のリンゴ技術体系を発表した普及の名著とされ、様々な新しい試みを実践し、アメリカからゴールデンデリシャスの穂を導入、これからふじやつがるなどの品種が生まれました。その一生をリンゴの研究と普及に務めたことから「リンゴの神様」とも称されています。
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碑文…『果樹曽従海外伝 南園北圃倍繁延 就中尤賞林檎美 紅玉累々十月天 昭和三十四年春録矧川先生詩 青木賢臺清嘱 善鄰学人書』
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碑文…『島善鄰〔明治二十二(一八八九)年~昭和三十九(一九六四)年〕は、大正中期、青森県のリンゴ栽培が病害虫に襲われた時、県農事試験場技師として来青、弱冠二十八歳で科学的処方箋を確立し、リンゴ産業の危機を救ったことから「リンゴの恩人」と称えられた。また、昭和二十九(一九五四)年十二月より同三十三(一九五八)年三月まで、弘前大学教授として、農学部(現農学生命科学部)の基礎を築いた。学風は「学理と実際の結合」にあり、「苹果あるごとに我は楽し」の言葉を好んだ。この詩は、滋賀重昴(『日本風景論』著者、ペンネーム矧川)が詠ったものであり、「海外から導入された果樹が国中に広がり、なかでも秋空に映える鈴成りの紅玉の美しい風景を賞賛」している。書体は島の揮毫を刻字したものである。平成二十三 (二〇一一)年十月十四日「国際リンゴフォーラム in 弘前」を記念して建立』
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