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宮城県登米市津山町柳津大柳津。真言宗智山派柳津山宝性院(寶性院)。御本尊虚空蔵菩薩。
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大鳥居の横にある寺号標「虚空藏尊」。
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もう一基は読み取れませんでした。
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「大鳥居建立を祝し建之 昭和63年12月吉日 旗枠施主(株)モトクテ代表取締役富樫憲一・取締所長千葉晴喜」
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駐車場(夢想庵前駐車場)に瓦礫がありました。
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2019年の台風19号により、かささぎ橋を始め参道等が被害を受けたようです。大柳津川が氾濫したんでしょうね。
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ってことで、鵲橋(かささぎ橋)はこのような状況でした。
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柳津虚空蔵尊の鵲橋(町指定文化財・明治39年12月8日建立、昭和36年旧10月13日改築)…『鵲の橋、この名をとって日露戦争戦勝記念事業として橋を建設し、この名が付けられた。宝性院(柳津虚空蔵尊)は、神亀3年(772年)僧・行基の開基と伝えられる。大伴中納言家持が征夷大将軍として、多賀城に在任中この地を訪れ、百人一首に詠まれ永く世の人に親しまれてきた。この歌は、柳津虚空蔵尊に至る入口の大鳥居の山根際に参道があって、ここにかかる橋の上で詠まれたと伝えられている。山根際に石碑一基あり、通路跡も見られる。「鵲の渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」平成15年4月1日指定津山町教育委員会』
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住古より大柳津に家持の墓があったと伝えられています。桓武天皇の時代、延暦4年、都に謀反がありました。事成らずして一味は捕られましたが、主謀者の一人が調べに対し、その総指導者は、中納言家持であると言上しました。この時、家持は既に死んでいたので、その息子が島流しとなりましたが、やがて無罪であることがわかり、疑いは晴れました。この話には諸説あり、実はこの時家持は生きており大柳津に逃れていたという説や、家持は死んでいたが、家臣が亡骸をひそかに大柳津に運び葬ったという説があります。
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ケヤキ。
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柳津虚空蔵尊のケヤキ(ニレ科)津山町指定文化財…『ケヤキは北海道を除く日本の各地に自生する落葉高木で、防風林、風致林としても重要な樹種である。さて、虚空蔵尊の大鳥居をくぐってまもなく一番先に目につくのが、橋の手前の大ケヤキである。大木特有の太い根元は潤沢な沢水を吸い大きな樹冠をひろげている。樹勢は今も旺盛で、四季折々のすばらしい風情をかもしだすのである。推定樹齢400年、樹高約35m、幹周4.77m。津山町教育委員会』
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スギ並木。
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柳津虚空蔵尊のスギ並木(スギ科)津山町指定文化財…『スギは日本特有の植物で全国的に広く植林されている常緑高木である。さて、虚空蔵尊の参道には、すばらしい老杉の並木がみられる。また、境内には20数本の杉の大木が整然と並び、由緒ある寺院の荘厳さをかもしだしている。その本数は幹の周は、2~3mが16本、4mを越えるものが15本、特に太い杉は根本が地上に張りだし、いかにも巨木としての風格を呈している。なお、スギは本町の町木に指定されている。推定樹齢300~400年、樹高約40m、幹周3.5m~4.8m。津山町教育委員会』
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境内案内板「南三陸 金華山国定公園 日本三所の一 宮城 柳津福智満虚空蔵尊」より…『当山は柳津山宝性院と号し、真言宗智山派に属す。神亀3年(第45代聖武天皇)726年秋9月行基菩薩勅を受け東国を巡遊し、この地に来り御修法21日間一刀三礼し、自ら虚空蔵を刻む、その丈一尺二寸もって、天下泰平、国家安穏を祈り、同月13日一字を黄土山の嶺に創立しこれを信心して、一村の守護仏として尊崇した。後宝亀2年3月大伴家持宮城郡多賀城にありし時登山して、これを拝して言うに福島の会津柳津山口の柳津に安置せる仏像も同じく行基の作で日本三所の秘仏である。かくも尊いものなれば33年目毎に開帳する外みだりに衆人これを拝すること恐れありと、其の後弘仁9年(52代嵯峨天皇)5月3日弘法大師此の堂に籠り21日間の密行を勤め、大黒天長さ八寸のものと、毘沙門天長さ一尺二寸のものの二体を刻し、もって其の左右に安置し尚本堂を今の地に移した。其の後中古に至ってしばしば野火にあいましたが幸にして本尊の安泰を得、法澄連綿として現在に至っております。虚空蔵菩薩は丑、寅生れの一生一代の守り本尊であり、鰻は虚空蔵菩薩のお使いの魚で絶体に殺生しないことになっております。◆恒規大行事=四季に修行される例祭(新暦)…1月1日=初訪特別祈願祭。1月13日=初虚空蔵。2月13日=受験合格祈願祭。3月13日十三詣り。4月1日=交通安全災難消除祈願祭。4月12、13日=春季大祭。10月12、13日=秋季大祭。12月13日=納めの虚空蔵。毎月13日=月詣り。◆柳津虚空蔵尊七不思議…一、玉こぶの欅=弘法大師が杖にしたといわれるけやき、樹令1200年以上、縁結びの神様、イボ取り神様。二、雫の桜=一名涙の桜、しだれ桜、葛西公奥方お手植の桜、葛西公滅亡後晴天にいつもしずく(涙を)こぼしている。三、一夜の松=ご本堂屋根替の時一夜にして曲り一晩で虚空蔵尊が松をまげたと言われる。四、月見の井戸=弘法大師さま昼間御信徒に月、星をうつして見せた井戸。五、片葉のよし=大伴家持卿の庵の跡にはえたと称され片方にしか葉がありません。六、黄土山の黄金水=行基菩薩黄土山頂で秘法を行い湧き出た水で無病息災の水。七、子育ての松=境内に一本の松がありいつの間にやら幹の間に杉を生じ、さながら子を育てる松の姿に子育ての松と言う。◆鵲橋「鵲の渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにけり」中納言大伴家持。今を去る一千年の昔中納言大伴家持の作として百人一首に詠まれ、永く世人に親しまれて来たこの歌は虚空蔵に至るこの橋の上で詠まれたと言い伝えられ鵲橋はあまりにも有名である。』
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柳津虚空蔵尊案内板。
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参道。
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鳥居。
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『この石造の鳥居は文政6年(1823)9月13日、左の施主人によって建造されたものであります。記:石貝清作、同清兵衛、同清七郎、柳屋清エ門、宮内良碩、義兵衛、久四郎、吉蔵、池田太治助、林十兵衛、七兵衛、甚助、和右衛門、源兵衛。平成3年津山町教育委員会』
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参道を直角に曲がります。
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参道石灯籠一対(明治36年3月13日)。
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子育ての松付近。
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石碑等がたくさんありましたが台風19号の影響で足場が悪かったので見ていません。
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子育ての松。
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七不思議・子育ての松…『境内に一本の松がありました。いつの間にやら幹の間に杉が生えてきて、それが子を育てる松の姿に見えました。今はその松は枯れてしまいましたが、子の杉のみ、亭々として一盛観をそえています。』
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南無大師遍照金剛。
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イチョウ。
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27.5
柳津虚空蔵尊のイチョウ(イチョウ科)津山町指定文化財…『イチョウは学問的には中国原産となっているが、この樹の化石は中国はもちろん、日本、アメリカからも出土している。古来、適応性の強いイチョウは寺院木、街路樹としても貫用される雌雄異株の落葉高木である。さて、柳津虚空蔵尊のイチョウは、荘厳な山門の手前に繁り、すばらしい老杉の並木と調和して見事な景観を形づくっている。推定樹齢300、樹高約40m、幹周5m。津山町教育委員会』
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車輌祈願所。
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津山町の見どころ(案内板より)…『◆もくもくランド…工芸の里・津山のシンボルともいえる「もくもくランド」は、杉の町津山町と都市とを結ぶ交流の場。工人が丹精込めて製作した木工品と町内の特産品などを販売する「もくもくハウス」「特産品展示販売施設」などがあり、"木の温もり"を十分に味わうことができる自然にかこまれた"ウッディランド"です。◆柳津虚空蔵尊…日本三虚空蔵尊の一つに数えられ、今から約1200年前(726年)、行基菩薩がこの地で1尺2寸の虚空蔵菩薩を刻んだのが始まりとされ、東北一の木造鳥居があり、境内には「一夜の松」を始め七不思議があります。※柳津虚空蔵尊大祭/4月12-13日・10月12-13日◆横山不動尊…日本三不動尊の一つに数えられ、国の重要文化財で弘法大師の御作と言われる高さ約5mの木造の不動明王が安置され、その胎内には百済国から渡来したと伝えられる、黄金の尊蔵が納められています。天然記念物で不動尊の「御使姫」といわれる境内のウグイ、県重要文化財の青銅五重塔などの見所があります。※横山不動尊大祭/4月27-28日・10月27-28日◆伊達小次郎君の墓…伊達政宗のただ一人の実弟でありながら、陰謀を企てた母の身代わりとなって、天正18年(1590年)に、政宗の手討ちに殉じた伊達小次郎君の墓です。横手右年山の中腹には、小次郎君のお守役で殉死した小原縫殿之助定綱の墓が小次郎君の墓を見守るように建っています。』
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