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善寶寺(鶴岡市)』からの続きです。
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山門。
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文久2年(1862)三十三世中興月圓禅山和尚代に再建。総欅造り、銅板葺きの重厚な二重門。楼上には、正面に「宝冠釈尊華厳経開演の座像」、両脇には「十六羅漢像」を安置。上部に高く掲げられている「龍澤山」の大扁額は郷土の傑僧興聖老卵和尚が宇治興聖寺在任中の麗筆です。又、二大尊天である「毘沙門天」を右に「韋駄尊天」左に配し、土地建物の守護と法食常転を求むる為に安置されております。正面及び初重内部には彫り物が溢れるように配されており、特に正面円柱と後方の両唐獅子は棟梁とその弟が技を競った力作とされています。
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毘沙門天。
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韋駄尊天。
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山門彫刻。
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正面参道石灯籠二対。
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石段。
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九十六の石段…『この祈祷道場である善寶寺にお参りをするのに最初の難関となる九十六の石段。この九六の段数を「クロウして上る」と憶えます。右手側には別の、ゆるやかな階段もございますが、ご祈祷・ご参拝をする前の修行としてゆっくりとお上り下さい。両脇にそびえる杉の大木は樹齢450位と言われております。』
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修行!
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石段から見た山門…カップルめ!修行修行!!
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石垣とゆるやかな階段。
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切株の中にひっそりと地蔵様。
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大香炉。
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感應殿(本堂)。
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昭和34年再建。広さ188坪あり、日本三大美林の1つ青森特産南部ヒバの総檜造り。御本尊に薬師如来を安置し、近侍に日光菩薩・月光菩薩を配しています。
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17.5
慈照殿。修行僧が朝昼晩と日に三度読経をする供養のためのお堂。
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曹洞宗専門僧堂。中国風の造りになっていて文殊菩薩が祀られています。
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僧堂(坐禅堂)…『僧侶の修行道場。明治34年禅教方丈建立(1901年)。昭和11年隆圓方丈(1936年)現在地に移建。』
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常夜燈・石碑。
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鐘楼堂。
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梵鐘。
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鐘楼堂付近から見た五重塔。
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24.5
御守札授与所。授与所裏に信徒会館。拝観料500円で五百羅漢堂・本堂・龍王殿・慈照殿が拝観できました。ちなみに私は五百羅漢堂特別拝観(2019年4月1日-6月30日、9月14日-11月24(善寶寺崇敬開山峨山禅師像御開帳))期間に行ってきました。
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魚板。
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慈照殿内。寺の宝物の展示も行っており、時期によって秘蔵の掛け軸や仏像も企画展示。すべて見学してきましたが写真はほぼ撮っていません。ほんの一部だけ紹介します。龍王殿内部など一部撮影禁止だったと思います。
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絹本著色王昭君図(菱田春草筆)。明治時代の日本画家菱田春草の代表作。明治35年、第12回絵画共進会(日本絵画協会・日本美術院連合絵画共進会)に出品し、銀牌第1席を得た作品。中国前漢時代の王昭君の故事を題材にしています。東京美術学校の職を追われた岡倉天心の姿を王昭君に重ね合わせているとの見方もあります。東京国立近代美術館に寄託。
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※重要文化財の絵は現在、東京国立近代美術館に期間限定で管理を委託中となっている。展示している屏風は画家の金子八畝(かねこはっぽ・1903(明治36)-1983(昭和58))の模写した王昭君図。
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重要文化財「王昭君図」(菱田春草筆・168cm×370cm・山形県善寳寺所蔵(東京近代美術館管理委託中))…『漢をおびやかした匈奴(きょうど)の将、呼韓邪単于(こかんやぜんう)が意寧元年(B.C33)漢都に入朝した。元帝の後宮には多くの美女がいたので、その一人を送ることにし、帝は画家に彼女らの画像を書かせた。その折、王昭君は画家に賄賂を与えなかったので醜女に描かれ、別れに帝が謁すると画像とは大違いの美女で惜しまれたが、匈奴の地に行くことになった。この悲しい話の絵画化で菱田春草(ひしだしゅんそう、1874-1911)が明治35年(1902)3月開かれた日本絵画協会共進会第12回に出品した作。色彩による新画法を発表し、当時この画を理解しない人々に作品で皮肉り、王昭君のなげきをこれに打ち当てたもので、評判になった作品である。篤志家、小林栄次郎氏によって早く善寳寺に寄贈され、今や春草の普及の名作として輝いている。美術史家中村渓男(なかむらたにお、1921-2001)』
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藤沢周平作「善寶寺物語」原稿。
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その他、是非現地でご覧になって下さい。
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ちなみに伽藍はこのような造りになっており、各所に色々と観るものがありますが…
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その他、各所に八体の蛇紋石が祀られており、その石を撫でて回る「蛇紋石めぐり」というのがあります。スタンプを押して回ります。一応クリアしました。
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さて、龍王殿拝観は済みましたが、外からも龍王殿を見に行きます。開運殿(本堂と慈照殿の間)という場所から行くことが可能です。
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龍王殿。
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龍神の御尊体・有栖川宮家の霊牌場・當山開山堂(歴代住職の位牌等)が納められています。
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ちなみに龍王殿拝観は10時・12時・14時のご祈祷後に限り可能です。2時間ごとなので自分なりに順路を計算すればそんなに難しくありませんが一応。※拝観はこちらからではなく総受付から本堂を通って行きます。
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善寳寺開山太年浄椿禅師が文安3年(1446)創建と伝えます。現建物は天保4年(1833)再建。
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パンフレット「1150年の歴史を知る。」より…『 善寳寺の縁起は平安時代にまで遡ります。「法華験記」や「今昔物語」「僧妙達蘇生注記」等の古文書にも登場する妙達上人という法華経の行者がこの地にわたり、草庵を結び名付けて「龍華寺」としたのが善寳寺の始めです。ある時、妙達上人の所に龍神様が現れ、「法華経」の功徳を受けたいと願います。龍神様は妙達上人の「法華経」の読誦を聞き、善寳寺裏手の、今も人面魚の棲む「貝喰の池」(かいばみのいけ)に身を隠しました。龍神様は延慶2年(1309年)に曹洞宗大本山総持寺二祖・善寳寺開祖の峨山韶碩禅師(がさんじょうせきぜんじ)の前にも現れ、その七代後の弟子、善寳寺開山の太年浄椿大和尚(たいねんじょうちんだいおしょう)の前にも現れ仏法の戒を授かったといいます。その後歴代住職は奥の院に龍神様をお祀りし龍王殿を建立して、今に至ります。』※写真は妙達上人像(龍王殿に祀られています)。
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狛犬一対。
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龍王殿(国指定登録有形文化財・平成27年11月17日)…『善寳寺開山太年浄椿禅師が文安3年(1446年)創建するところと伝えられる。現建物は天保4年(1833年)二十九世中興大令和尚の代にて再建されました。當山守護両大龍王尊を祭祀すると共に開山堂をも併せております。亀甲葺と称する八棟造形式の銅板屋根は海の波「うねり」を型どり、又、軒組には波に鯉、鯱、雲と草花といった彫り物が多様に配され、荘厳な建築美を誇っております。』
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秋葉堂へ向かいます。
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長峰道三十三観音霊場の巡礼路があります。龍神堂(貝喰の池)まで続く所要時間約20分の巡礼路です。「龍神堂(貝喰の池)」については別記事にしております。
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秋葉堂。
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五百羅漢堂建立(安政2年(1855))発願・寄附功労者、清水平三郎之墓(釋定念居士・北海道松前郡福山町)。羽前羽後桑名各戦死寃親亡靈塔。
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以上、善寶寺でした。
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