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秋田県にかほ市象潟町象潟島。
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鳥居紀年銘「明治40年4月13日」。
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八島神社(八ツ島内)…『祭神豊岡姫命。象潟大明神ともいわれたこの神は、鳥海山大物忌神と同神とされています。今は「八島」と表記されているものですが、かつては八津島神社と表記していました。社伝によると、天平宝字(757-)の頃に創祀して蚶方(象潟)の鎮守とされ、その名も象潟神社と称していたと伝えられています。永仁元年(1293)8月に象潟男沼女沼の上地に鎮座していましたが、蚶満寺前の山頂(八ツ島)に遷座して、大物忌八島大権現と称して蚶満寺の守護神になったと伝えられます。氏子は汐越、中汐越、大汐越、島門前、向汐越、横山、横山新田、前川、大竹、大飯郷の十ヵ村の広範囲にわたり、蚕職を始め五穀を司る神として稲倉魂神とも同一視されていたようです。由利十二頭が覇を争うころになると政争に巻きこまれてことごとく焼失したものの、その後六郷氏領になると藩主の崇敬が厚くなり、正徳6年(1716)に再興されております。』
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4.5
参道石段。
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石段上の灯籠。
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社殿。例祭日は5月15日。
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神社庁より「由緒」…『豊岡姫命は、大物忌命とは同体にして又の名は豊於賀比売命と称え奉る。豊岡とは、岡と宇賀の転語であろうか。往時天平宝宇の頃始めて宮柱を建て蚶方(今は象潟という)の鎮守にして、蚶方神社と崇め奉っていたのを、後象潟の神社と称え奉る。能因法師の歌に「天に坐す豊岡姫に言問はん幾世になりぬ蚶方の神」とあるのを見ても明らかである。大神は神饗維織工芸の神に坐しまして、古は壮巌なる四時の大祭が行われたが、由利十二士、党を争い屡々鳥有に罹り、大いに荒廃叢祠の姿となってしまう。しかし六郷家の領地となるや藩主政泰巡遊の折侍臣に命じて大祭に復さしめ無窮の記念として大いなる碑を建てられたのは実に寛政の8年であった。八津島大権現縁記に曰く「千維羽後飽海郡油利庄八津島大権現者、一宮大物神是也、鳥海山大権現則大己貴命也、當人皇三十九代天智御宇出現以下人皇五十一代平城天皇御宇於諸国起悪鬼田村利人将軍以勅宣討鬼魅依之願成於八津島建一社称大物忌大明神後又改号八津島大権現又吹浦両所権現者謂八津島云々」とある。大神の御神徳を尊び奉る人々日に月に弥増し、遠い更科の国より大神の分霊を請願奉らんと欲する信徒もあった。昭和3年村社に列せらる。』
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蟇股・木鼻。
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9.4
9.8
社殿内。
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隣の建物。何かはわからず。
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石灯籠。
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象滷神祠之碑…『象滷神祠碑并序 出羽國由利郡象滷之州神在焉日豐岡姫祠而祭之不知其初盖自上古云然戰國之間失其祭典郷人不復知爲何神歳時伏臘蘋繁僅存矣日若稽古天兒屋尊姉曰天市千魂姫天祖以天市千魂姫爲蠶女肇造衣裳教民蠶織之道乃開天豐岡岡植桑以蠶焉豊岡天祖之桑田而此神主之故號稱豐岡岡姫也是爲蠶祖其地在本荘侯封内今侯嗣封十一年爲昭陽赤奮若歳侯始行部遵海而南放于象滷因過謁祠見其荒廢召郷父老問之而父老不能對候乃顧謂有司日天子祭天下名山大川諸候祭在其地者禮也今父老不能對非父老之罪乃禮之不講也祠之詠於國風著於載籍固非里社叢祠之此而荒廢如此其非爲民祈福於神祇之義哉吾將擧之仲尼日名不正則言不順言不順則事不成此行也吾先正之名明年候朝東都因命世元制文於是令有司刻石立碑辭日 羽海之濱象滷之洲天盡奇絶一區是収有神主焉日豐岡姫寔爲蠶祖民今頼之祭典中失名與物紛茲修逸禮乃秩無文瑟兮貞石麿而不隣庶萬斯年神徳永新 寛政八年歳次丙辰二月朔日近江源世元撰武藏左潤書 秋田侍從源朝臣義和篆額從五位下藤原朝臣政泰建』※自信ありません。
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山神。
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湯殿山月山・鳥海山・羽黒山。
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金刀比羅神社(明治5壬申年)。
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「八ツ島」と刻まれた石柱。八ツ島は九十九島に数えられる島。
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牛頭天王。
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境内に更に階段があります。
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堂宇。
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幟には「龍」の字が見えましたが、中央の扁額は見えず。中央には観音像が祀られており、両脇にも小祠。
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境内石碑群。
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不動明王。
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古峰神社。
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猿田彦尊塚。
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廓照院殿無庵了(子かも)樹大居士神儀。お墓です。
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ちょうど八島神社と蚶満寺の間に位置し、石塔も神仏混淆しております。
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覺林院殿正山本公大居士。上部には丸に一文字三星紋。仁賀保挙誠(1560-1624)のお墓ですね。つまりここは蚶満寺境内ということになります。仁賀保挙誠については説明を省略します。有名なのでWikipediaか何かでお調べになってください。
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光岩元公大禅定門。
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禪了院殿本空永心大居士。詳しく見ていませんが寛永8年など古い年号が刻まれています。
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こちらの階段を降りたら蚶満寺の境内でした。しかも有料区域に不法侵入することになります。引き返しましょう!ちなみに私はお金を払っております。
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巨木と墓碑。
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32.5
もう完全に八島神社ではなく蚶満寺の紹介になっております。
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「金延紀墓」、「光岩智明大姉」、「机萼貞紀大姉」、「楊柳院興室絽隆大姉、恭順院忠信實明居士、智明院全屋珠輪大姉、法隆院専精不逸居士、智■梅心清光大姉」などと見えます。
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仁賀保氏と関連があるんでしょうかね。状態はいいのですが、偶然辿り着いた場所だったので、いずれも細かくは見ておりません。
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墓碑前の階段を下ると蚶満寺園地公衆トイレ横の駐車場に出ました。南方から八ツ島に登って、反対側に降りてきた感じですね。
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