庫裡の中を守る猫様。
本堂裏手の史跡庭園へ。
観音堂。
観音堂内。
三十三観音等。
御開山傳法松標柱。後ろの切り株だったのかな。
犬楠(タブノ木)。
亜熱帯植物で樹齢千年をこえる霊木。
離れて見た方が大きさが伝わりますね。
菅秀才手栽梅標柱。菅原道真が太宰府に流された時、道真は息子の菅秀才に「象潟蚶満寺へ行け。そこで梅を植え、花が咲いたら父が無事にいる証拠だ」と言いました。菅秀才は蚶満寺へ行き、梅の木を植えて父親との再開を願いましたが、遂に果たされず、菅秀才は象潟の里で亡くなりました。
梅は…どこにあるのだろう…。
木のぼり地蔵。
ちょっと離れて見ないと分かりにくいです。
わかるかな?
ここです。
出世稲荷堂。
堂宇。
狐一対。
堂内。獅子頭がありました。
北条時頼公のつつじ。樹齢700年をこえる正嘉元年(1257)時頼公寺領を寄進、寺紋も北条家の三鱗。
親鸞聖人御腰石。
標柱「親鸞聖人御腰掛石」。紀年銘は安永6丁酉年正月。玉垣の紀年銘は大正11年4月。
肥前島原の西方寺にあった親鸞が腰掛けたとされる石です。
安永6年(1777)切支丹ノ変を避けるために信者が蝦夷地に輸送中、シケにあい、象潟に陸揚げしてここに納めたものであるといわれています。
三十三観音の一つかな。隣には句碑があります。
その手前にも句碑。「象潟や波のにしきをいねの花」楽水・「象潟や其月かげを啼く千鳥」瀾夕・「象潟や/\いねの波よする」提文・「象潟や雁のなくねも幾千里」古石・「雁おもふ夜や象潟ゆめに入」蘭栄・「象潟や橋にもたれてタ涼み」子奥。
こちらも三十三観音の一つかな。
西國拾番の石塔にも句が彫られています。
加舎白雄句碑「高浪や象潟ハむしの藻にすだく」(常世田長翠・享和3年9月)。
「夕立や水をころがる水の玉」蘆川。
舟着場の跡と舟つなぎ石。
舟つなぎの石。
案内板はないけどこちらも舟つなぎの石かな。
目の前は九十九島。
西行法師歌桜の跡。「きさかたの桜は波にうづもれて花の上漕ぐ海士のつり舟」。
猿丸太夫姿見の井戸。秋風の立つ頃、讒言によって流浪の歌人となった猿丸大夫が、葦毛の駒にのって汐越の里蚶満寺に辿り着きました。月光に誘われて、八十八潟、九十九島とよばれる絵巻のような景観に心慰めましたが、井戸の水鏡にうつる我が身のやつれを悲しみ一首を誦じました。「奥山紅葉ふみわけなく鹿の声きくときぞ秋は悲しき」猿丸大夫は百人一首で名がある三十六歌仙のひとり。
芭蕉句碑。芭蕉翁は元禄2年6月16日当地に到り、三句を残しています。
「象潟の雨や西施かねむの花」。
宝暦13年9月建立。
蚶満寺は猫だらけです。いずれも飼われている猫です。
拝観料を払う場所に全猫を紹介しているアルバムがあり、自由に閲覧可能です。
かなり人慣れしており、積極的に寄ってきます。
寄ってくるどころか、どこまでも追いかけてきます。
猫好きの方にとっては猫拝観料ですね。
以上、蚶満寺でした。
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