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東北最大級の道の駅「象潟ねむの丘」。
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才の神横丁。象潟町のサエの神の御神体は陰陽性器のうち、男根(陽)を石や木でかたどったものです。この神に良縁や子授け、病気、家内安全、豊作などを祈願すると、御利益があるといわれています。このサエの神行事は、1月15日に早朝から小屋焼きなどの伝統行事をおこなっています。
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公式HPより…『2004年から道の駅象潟ねむの丘に祀られている才の神。男性の象徴をご神体とすることから、良縁・子宝・夫婦円満の神としても知られています。又、県境に位置することから災難をさえぎるとともに、訪れた方々の交通安全、そしてご健康を祈願して祀られています。御利益があったとのご報告も頂いております。』
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才の神神社。
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向拝下。なお、道の駅館内にも大きな男根がございます。訪れた頃は夏休みということもあり、多くの人が記念撮影をしていたのでスルー。私にとっては珍しいものではありませんが、このような多くの人々が集まる場所ではかなり異様かも知れませんね。
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御神体前に神宮大麻。
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平成16年12月3日遷座祭。
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才の神建立記。
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ねむの丘の「才の神」…『「才の神」は、村境や分かれ道に祭られ、通行人の安全を守り、悪霊や悪疫の侵入を防ぐ神として古くから信仰されてきました。また、木や石でかだどった男根を御神体とすることから、良縁、子授け、夫婦円満の神としても知られています。ねむの丘にあるこの地域を才の神地区といい、秋田、山形の県境に位置することから、ここで邪神邪霊からの災難をさえぎるとともに、訪れた方々の交通安全、そしてご健康と良縁を祈願して「才の神」を祭っております。』
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こちらは駐車場にあった芭蕉筆「腰長や」発句短冊碑(「道の駅象潟」登録20周年記念句碑建立、ねむの丘会、平成29年4月吉日)。平成20年に開所10周年を記念して西施像を建立し、その次の計画として建立されたものです。元禄2年(1689)に松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で本市を訪れ詠んだ3句のうちの1句で、芭蕉直筆の短冊を実物の3倍に拡大して刻んでいます。
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『象潟の内 こしたけの しほと云 処にて「腰長や鶴脛ぬれて海涼し」はせを』
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案内板より…『松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で象潟を訪れたのは元禄2年(1689)6月16日(陽暦8月1日)である。18日まで滞在し、その間三句を詠んでいる。この碑は、そのうちの一句が書かれた芭蕉真筆の短冊(にかほ市象潟郷土資料館蔵・市指定文化財)を実物の三倍に拡大して刻んだもので、文面は次のとおりである。(省略・上記参照)腰長は象潟川河口の海浜を指し、旅から5年後に完成した「おくのほそ道」では、「腰長や」が「汐越や」に改められ、「汐越や鶴はぎぬれて海涼し」となっている。』
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道の駅の裏手、日本海側へ。
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西施像。
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西施像はすぐ近くの蚶満寺庭園にもあります。
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西施(中国四大美女の一人・紀元前502-470年頃没)(台座より)…『中国の春秋末期時代、越国苧蘿村(今の浙江省諸曁市)の人。呉・越の両国が「呉越の興亡」と呼ばれるほどの争いをしていた国難の世に彼女は生まれた。越王勾践は会稽で敗れると美女西施を呉王に献じ、呉王の心を乱し、政治を怠らせる政策を立てた。西施は越の救国のためならと呉国に赴き献身的に呉王に尽くした。後、呉国を滅ぼし会稽の恥をすすぐや、越国では西施を愛国精神を具えた天下第一の美女として讃え、現在まで広く伝えられている。救国のためとはいえ敵国に身を捧げた悲劇的な美女西施を、俳人松尾芭蕉は松島に比べて「うらむがごとし」と象潟の風景に似通うものとして俳諧の世界に生かした。その句が「奥の細道」に見られる次の句である。「象潟や 雨に西施が ねぷの花」。この句が縁で、象潟町が平成2年から、平成17年からはにかほ市として西施の故郷中国浙江省諸曁市と友好関係を深めています。にかほ市・象潟町日中友好協会』
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こちらは道の駅館内にあった案内板ですが、内容はほぼ同じです。
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