『氣比神社(おいらせ町)』からの続き。
以前は冬に参拝したので気付きませんでしたが、力石があります。文字は読み取りにくいです。といっても案内板があったので正直ちゃんと見ていません。
こちらは「百石村…力士…」の文字は見えます。力石で間違いないでしょう。
こちらは下部左右に「右ハ木ノ下 左ハ鶉久保」等の文字が見えるので追分石です。案内板を読む限りではかつては追分石で、後に力石としても使われたということかな。
こちらははっきりと読み取れます。「記念 昭和十六年二月四日 種市佐太郎 四十一メ」。案内板によりますと「四十一歳の厄年」とありますが、力石だとすれば、私には「四十一メ」にしか思えません(※41メ=41貫=153.75kg)。
しかし、案内板によりますともう一つの石は「玉川某は妻三十三歳の時」との説明があり、厄年と一致することから案内板が正しいのでしょう。私には「玉川…三十三メ」(※33メ=33貫=123.75kg)にも思えますが。若者(当時)というのもちょっと微妙です。
力石六個のときあかし…『古来より氣比神社の神賑祭(大祭)や天祈り(農家の休日)には近郷近在より力自慢の若者が南鳥居前の力石置場に集りそれぞれ形や重さの異なる力石に何度となく挑戦観衆の助言や聲援を受けながら力石を腹に乗せ少しずつ肩の方へ押し上げ最後に肩に擔ぎ上げその場を1、2回廻り自分の力と技を披露し観衆と共に楽しんだ。一、若者等が最初に挑戦する力石は追分と言う石で約16貫ある追分石は昔の道標の石で右木ノ下左鶉久保と彫ってある。一、種市佐太郎が41歳の厄年に玉川某は妻33歳の時又、百石村とある石及び無記名の二個の石は木ノ下部落有志が納めた石で共に健康と無病息災を石に託して奉納する。』
境内末社。
境内社の欅そうぜん神。そうぜんの漢字は変換できず。小さい社ですが結構繊細な造りです。
蟇股・木鼻。
脇障子。
『古代のものと推定される、大人十人程で抱えた欅の神木があり、人々は「おそうぜんさまの欅」と呼び、當神社象徴の巨木であった。大昔より暴風雨に耐えて来たこの古木も、度々の台風で太い大きな枝が折れ落下すること再三、幹には大きな割れ目が入り虫が住みつき小鳥が巣を作り、次第に危険な状態がすすみ已むなく危険木として伐採する。何世紀もの間、人々にやすらぎと力を与え生活を見守り続けて来た神木に、感謝の誠を捧げ切株上に社を建て後世に伝えるべき祭祀奉る。』
社務所・御神札授與所。
志乃武神社。
志乃武神社由緒…『志乃武神社は、旧日本海軍により、天照皇大神宮・鹿嶋大神宮・香取大神宮から御霊分け、昭和18年11月18日、旧三沢海軍航空隊基地に勧請される。爾来、国家鎮護・地域鎮護・航空安全・海上安全・無病息災・開運等の守護神として祭祀され、終戦により、昭和20年9月、護弘第22858部隊伊東祐満部隊長により、木崎野の守護神である氣比神社に納められる。此の間、半世紀余に亘り氣比神社社殿内で祭祀されるが、霊威限りなく高い志乃武神社を永久に祠祀するために社殿を建設し、航空自衛隊三沢基地の航空安全、木崎野地域の幸福と限りない発展・繁栄を願う守護神として、祭祀奉る。』
山登神社。
山登神社社殿。
山登神社内。中央の石碑「湯殿山神社・月山神社・羽黒山神社・十和田山神社」の紀年銘は明治17年。左右は暗くて見えず。
山登(やまあげ)神社由緒…『(人々はヤマカケ神社と呼んでいた)。祭神(向かって左より)…左:春日神社・天照皇大神・八幡宮、中:湯殿山神社・月山神社・羽黒山神社・十和田山神社、右:幸比羅神社。古頃より、当地方では八甲田大岳登山信仰が盛んで、毎年時期になると、若者達が早期(暗いうちに)氣比神社と山登神社に、無病息災と登山の安全祈願をして出発した。帰還後は、無事登山出来たお礼のお参りして後に、草鞋を欅の枝に投げ掛けてから解散した。都合により登山出来なかった人達は、登山者と一緒に参拝することで、登山をしたと同様の御加護があるとの信仰があった。』
御神札授與所・絵馬殿。
絵馬殿。
絵馬殿内。流石といっていいほどの絵馬が奉納されています。
本殿裏手へ。
明龍神社が鎮座しております。
明龍神社社殿。
明龍神社神額。
明龍神社拝殿内。
明龍大明神由緒…『古牧時代のものと推定される。大人二人で抱える程の白萩の神木があった。秋になれば白い花が咲き乱れ、一川目・二川目・三川目部落の漁師達は、沖に出れば航海目標にしていたと言う。亦、この白萩の大木の皮を剥いで、煎じて病馬に飲ませれば病気が治ると言うので、剥いで密かに持ち帰る者が絶えなかったと言う。そのため遂に枯死したと伝えられる。数百年の間、人々の生活を支えた白萩の神木に、感謝の誠を捧げ、切株上に社殿を建て祭祀奉る。社殿内に丈2尺、径1.7尺程の白萩の一部を神前左右に納めてある。尚、氣比神社社殿内に白萩で彫刻した大権現様二頭、祭祀奉る。』
明龍神社前から見た氣比神社本殿。
氣比神社本殿裏の鎮守の森にあるカシワの木。
2本あります。
標柱(推定樹齢400年)。
カシワの木(天然記念物。町指定文化財:昭和61年11月17日指定)…『町文化財に指定されたカシワの木は昭和の初期頃までは杉(スギ科)などの針葉樹と共に400年以上も経るカシワ、コナラ、クリ(ブナ科)、ハンノキ(カバノキ科)、オオヤマザクラ(バラ科)、ケヤキ(ニレ科)の古木が沢山自生し、ツタウルシ(ウルシ科)が巻きつき、雑木林を形成していたと伝えられる。しかし、この野生種の古木の多くは、長い年月の間に強風や、豪雪に耐えられず、姿を消して云った。樹齢400年、胸高周囲南側2.61メートル、北側2.53メートル、樹高両木共21.25メートルで、境内に現存するカシワの木では、最古のものであると考えられ歴史的にも重要な文化財であるので、「気比神社のカシワの木」として指定した。平成4年7月町教育委員会』
カシワの木の近く(駐車場)にあった庚申塔一基。
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