八雲神社略記…『祭神:須佐之男命、稲田比賣命、八王子命、佐竹氏の霊。由緒:永保年中新羅三郎源義光公の勧請と伝う。室町時代関東管領足利成氏公は公方屋敷に渡御した当社の神輿に奉幣を行うを例とした。戦国時代小田原城主北条氏直公は祭礼保護の「虎印禁制状」を下賜し、慶長9年徳川家康公は永楽五貫文の朱印地を下賜された。古くは祇園天王社と称したが、明治維新に八雲神社と改称された。祭礼:例祭の神輿渡御に伴う「天王唄」や「鎌倉ばやし」の神事芸能を伝え、正月6日には「湯花神楽」が行はれる。』
平安時代永保年間(1081-1083)、源新羅三郎義光公の勧請と伝えます。後三年役で兄八幡太郎義家の助勢に赴く途中鎌倉に入ると、この地に悪疫が流行し住民が難儀しているのを知り、厄除神として霊験の名高い京都の祗園社を勧請し篤く祈願したところ、たちまち悪疫退散し住民は難を救われたと云います。鎌倉の厄除さんといわれる由縁。以後、鎌倉祇園社又は祇園天王社と称しました。
応永年間(1394-1427)には、義光の子孫である佐竹氏の屋敷に祀られていた祠が合祀され、佐竹天王と称しました。『鎌倉年中行事』に、室町時代宝徳年中(1449-52)関東管領足利成氏公の頃に当社の神輿を管領屋敷に渡御し神楽を奏し奉幣の式が行われたことが記されています。
戦国時代の天正14年(1586)、小田原城主北条氏直の時、当社の祭礼に対し禁制守護状が下賜されました。慶長9年(1604)、徳川家康より永楽五貫の朱印地(神領)が下賜されました。以後、代々の徳川将軍家より朱印状が下付されています。
明治維新に際し八雲神社と改称。明治6年に大町の鎮守として村社に列格。明治44年に上諏訪、下諏訪、古八幡、神明の4社を合祀。
大正12年に関東大震災で社殿倒壊し、昭和5年に再建。地元では八雲さん、お天王さんと呼ばれて親しまれています。
唐破風懸魚。
木鼻。
天水盤。
天水盤…『武州鋳物師鈴木文吾氏により「惣型法」にて鋳造さる。東京オリンピック聖火台も同氏が鋳造した。』
本殿覆屋。
社号標「村社八雲神社」。
石灯籠一対。
「神徳恭敬」。
手水舎。
古い手水石。
猿田彦大神。
猿田毘古大神と庚申塔。
寛文10年銘です(市指定文化財)。
狛犬一対(大正11年11月1日)。
新羅三郎手玉石(力石)。
右から諏訪神社(健御名方神)、末廣稲荷神社(宇迦之御魂神)、於岩稲荷社(田宮於岩命(お岩様))。
その横にも古そうな石祠と狐が数基。
御神木。
寶蔵殿。
鉄柵&ガラス越しですが、神輿4座、宝剣、銅鏡、瓦など色々と見れるのが嬉しいですね。
ちなみに神輿四座は一社が寛保2年(1742)造営、3社が萬延元年(1860)造営。
社務所。
社殿横に御嶽神社と三峰神社。
社号標。
その隣には登山口がありました。東勝寺跡に通じる祇園山ハイキングコース。
0.3kmなら余裕かなぁ…でもやめておきます。
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