青森県上北郡六戸町上吉田。私の地図には「大明神」とだけ記されています。

上吉田と下吉田との境界に鎮座。堂舎の真下を用水路が流れています。この用水路は明治初年の「犬落瀬分限図」にも記されており、古くから相坂川の水を引いて上吉田集落の田んぼに恩恵を与える重要な役割を果たしていました。そのため青竜大明神は付近の田んぼや水路を守護する神として信仰されてきました。
水準点。

間口1間半、奥行2間の切妻平入屋根の堂舎は昭和54年旧8月10日に建立されたものです。

中には間口60cm、奥行66cm、高さ101cmの石殿が奉安されており、その側面には「嘉永四亥年七月二十五日吉田村」と刻まれています。元々は高橋家の氏神。高橋家が吉田村に定住したところまで遡ることができることから、御神体は嘉永4年以前から祀られていたと考えられます。御神体は縦15cm、横12cm、高さ20cmの自然石で、地域の人々は「明神さま」と呼んで拝んでいますが、その由来については不明です。明神といえば水にかかわる神が多く、特に中国の四神思想によりますと、東方は青龍を配置しているので、この堂舎も上吉田集落の東方に位置していることから青龍の名を使ったと考えられます。
青竜大明神横(境内の西側)には摂社大不動神社の鳥居と小祠。

鳥居前の御神木に不動明王の札が立て掛けられていますが、特に不動明王との関わりはなく、「動かぬ石(不動の石)」を意味しており、青龍大明神とともに高橋家では大切に祖先の心を引き継いでいます。

小祠には川からあがった3個の重軽石を祀っていたそうですが、3枚の飾り座布団があるのみでした。



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