秋田県鹿角郡小坂町上向。かつての上向村。明治9年11月28日に鴇・鳥越・長沢・牛馬長根が合併して上向村。

鳥居をくぐってしばらく道なりに歩きます。
最初のうちは余裕でしたが…

少しずつ荒れてきて…

途中で笹藪に…
挫けずに歩き続けると…あれ!?行き止まり!?っていうか川に阻まれます。周囲は笹藪です。
しかし左奥に道が続いているように見えます。
ってことで、ここから左の笹藪にて藪漕ぎ突入。

何とか突破しました。このように進んできました。
既に心は折れかけていますが…

比較的道が良くなったので再び参道を進みます。

しかし途中から…

再び笹やぶの藪漕ぎに突入!先程よりもかなりひどい状態。もはや自分が歩いている道が参道かどうかも自信ありません。
しかしここまで来て引き返すわけにもいかないので、やぶの中を少し進むと社殿が遠くに見えてしまいました。見えなければ完全に引き返したと思います。正直見えなければ良かったのに…って思ったくらいです笑
見えるかな?
参道はこのような感じです。整備される時期があるかどうかはわかりません。あるとしたら大祭日の7月12日頃でしょうが、恐らく現在は整備されていません。とにかくきついです。よって道中の写真もあまり撮っていません。帰りも迷わないよう注意して下さいね。
笹やぶ突破!
ってことでようやく到着しました。中々難易度が高かったです。軽装及び方向音痴の方にはおすすめ致しません。こんなところで熊に襲われたら終了です。
う~ん…拝殿前もまだ若干の藪状態…帰りのことを考えたくない笑
地蔵菩薩。素敵な笑顔です。

小さな建物。

中はこのような状態でした。

神鏡、三つ俵、陶器製の双頭白蛇、千手観音立像、大黒様、恵比須様、福禄寿、不動明王など…

倶利伽羅剣。
地蔵菩薩。薪を背負っているように見えます。隣には不動明王。
不動明王の紀年銘「昭和49年9月28日」。

山神大神碑(昭和32年10月11日)。畑沢末次郎、鷲谷トクエ他10名奉納。

狛犬一対(昭和42年5月12日講中一同)。
社殿。正面上に不動明王が飾られています。

社殿内。
山神。昭和32年4月などの紀年銘が見え、創建当時まもない頃の奉納とわかります。
四国八十八ヶ所霊場順拝納札。

不動明王、「参拝記念句-真言宗醍醐派小坂教社」。
黒瀧神社に捧げる歌(参拝記念・真言宗醍醐派小坂教社)…『1.人里はなれた黒瀧に 尊き神は鎮りて 苦しみなやみを救はんと 表れ出たる有がたき 信者を守りませ助けませ 正しき行く手を示す如く 生き抜く人の杖となり 睦みて集ひ伏し拝む 不動の瀧よ栄へらん 2.昔神々搖耒の 社に我等恵まるる 光放ちて輝ける 水は五色の虹はりて 流れる水の清らけく こゝに助ける神ありて 長き世かけて守るらん 賛へよ信者声髙らかに 黒瀧神社栄へん』

社殿内由緒より…『昭和30年10月7日枕神に立ち、昭和31年5月9日黒滝神社建立。昭和31年6月12日御堂開き、十二山神、瀧神大神、不動明王、弘法大師(左手の岩)、薬師如耒、又、昭和50年5月、文珠両部大菩薩の珠授かる。山に鎮座すこの地は、神佛のおはす霊地なり。病の人々は水ごほりを取りて一心に念じれば、すめやかに快復す。百姓には、田作の虫よけとなり、水をくみて田に流せば上作となる。肉食は反対の神なり。62年7月神社改築(大工:浪岡善美)。年に一度の大祭7月12日。24日地蔵菩薩の前で信者一同千枚地蔵流し供養を行ふ。』

本殿裏にある黒滝(黒瀧)。
黒い石から流れ落ちてきます。これは黒いマンガン鉱物(MnO2)か!?溶岩末端崖の滝か!?シアノバクテリアがいるのか!?黒いお宝発見か!?って、ブラタモリの博識なタモリさんを気取りたくなりましたが、そもそもオンネトー湯の滝が陸上でマンガン鉱物(二酸化マンガン)を生成するのが見られる地球上唯一の場所でしたね。



コメント
コメント一覧 (6)
yuki
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本殿周辺は、雑草が刈られていますね。どなたかが管理されているようですね。
yuki
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著者 松原照子 書名 あの世から神様を引き寄せるパワースポット 出版社 宝島社
yuki
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