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八戸市湊町下条。
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八戸市鳥瞰図(昭和8年)より。
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3.5
御祭神は速瀬織津比賣神、速秋津比古神、速秋津比賣神。例祭日6月27日。
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4.5
鎮座する川口は、かつて馬渕川と新井田川とが合流し、太平洋に注ぐ岩石重塁する処でした(上記鳥瞰図参照)。当所は地元の漁師たちの崇敬する一小祠でしたが、水戸(湊)の出入口であったが故に航海安全、大漁成就を中心とする信仰とともに、災い穢れを祓う神として別名「川口の竜神様」「川口の明神様(川口大明神)」とも呼ばれ尊称されてきました。流れゆく潮の間にあって罪や穢れを祓い清める水戸の神でもある主祭神の他、海の幸を生み育てる大綿津見神及び食物の神である豊受比賣神も合祀。
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社伝によりますと、創建は萬治2年と云われ、寛保3年には当時の藩主より御屋根柾十五丸寄進があり、川口勇猛善神と称号した旗二流の奉納があったといいます。藩政時代には近くに水揚げの十分の一を納税する十分一役所が置かれたこともあり、寺社奉行大目付役等の御代参が毎年あったと伝えます。南氷洋の捕鯨漁業が盛んだった頃には、毎年南郷村出身の多くの乗組員が川口神社の御守りを身に付けて地球の裏側南半球の厳しい氷の海で大活躍しました。毎年6月の例祭や11月の歳越祭には、大漁旗が境内いっぱいたなびきます。歳越祭が他の神社に比べて早い時期に行われるのは、年末年始が漁師にとっての書き入れ時であったからと云われています。
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十分一役所跡…『この湊川口は馬渕川と新井田川が合流して海に注ぐところであった。(馬渕川が八太郎を河口とするようになったのは、昭和に入ってからの築港計画によるものである。)そして、近世以前から港として利用されているところであった。江戸時代になると沖合でのいわし漁などの船でにぎわうようになり、他領から漁業労働者も多数集まるようになっていた。八戸藩では、鮫や湊川口を港湾として整備する一方、こうした漁業の発展に対処するため宝永3年(1706)この場所の南に「十分一役所」を設け、「十分一奉行」を置いた。その役目は、毎日の漁獲高を調べ、その十分の一を税金として徴収することと、にぎわう湊周辺の警備であった。その後、廻船の出入や艀荷役なども管理するようになり、「川口役所」「川口御奉行所」と呼ぶようになった。昭和56年11月八戸市教育委員会』
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江戸時代末期に書かれた「湊川口之図」に見られる十分一役所(上杉家蔵)。
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8.5
社殿裏へ。
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岩石上に鎮座しており往時の面影を残しています。
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