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熊野大社拝殿。天明7年以前の建築(天明7年の墨書あり)。唐破風、千鳥破風を萱で葺く山形県独自の建築様式です。出羽三山合祭殿笹野観音にも同様式が見られますが、その中でも最も古い建築物となります。
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正式名称は熊野神社で通称熊野大社。日本三熊野の一つ。熊野大社の御祭神は熊野夫須美大神(伊弉冉尊、主神)・熊野速玉大神(伊弉諾尊、配祀)・熊野家津御子大神(素盞鳴尊、配祀)。熊野夫須美大神の「夫須美」はムスヒの意味。「ムス」はあらゆる物を生み出す意味。「ヒ」は霊を表します。あらゆる命を生み出す霊妙な力をお持ちになった大神様。熊野速玉大神の「速」は勢いのある様。「玉」は魂の意味で生き生きとした魂(生命)の神様。熊野家津御子大神の「家」は食べ物の意味。熊野夫須美大神と熊野速玉大神のあいだからお生まれになり人間生活で最も大事な食料の神様。また、境内には三柱の大神様を含め三十柱の神様をお祀りしています。 
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4.5
熊野大社は大同元年(806)平城天皇の勅命により再建されたと伝えられ、それ以前の国分寺創立の頃の創建と推定。その後も時の天皇、法皇の恩恵を受け、後に天台宗・真言宗・羽黒修験・神道の四派も加わり、熊野三山と同じ証誠寺の寺号を称することを許され、熊野修験の一大霊場としても栄えました。社伝によりますと、後白河天皇が久寿2年(1155)の即位の際に当社に天下泰平の祈祷を命じて以降勅願所になったと伝えます。歴代領主である伊達氏・最上氏・上杉氏の崇敬を受け、社領の寄進や社殿の整備が行われてきました。慶長6年(1601)に上杉景勝が米沢30万石に減封され、直江兼続が大旦那として熊野大社の修復にあたったのは3年後の慶長9年5月のこと。当社に伝わる「一山古今日記」には直江兼続の造営の棟札と伊達政宗の棟札が並べて書き上げられています。歴史の奔流のなかで対立したこの2人の武将が熊野大社の歴史に登場するのは不思議な縁というべきです。また、熊野大社には伊達正宗安堵状(市指定文化財)が残されています。明治5年に郷社、大正6年に県社に列しました。市指定文化財として、木造菩薩形立像および脇侍(東北最古の本地仏と推定)、木造獅子(鎌倉時代)、羅陵王面(鎌倉時代)、獅子頭(室町時代)、伝宋版大般若経(室町時代)、元和九年町割図(江戸時代)、木造證誠寺扁額(江戸時代)などがあります。
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唐破風懸魚・蟇股。
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6.4
6.8
五箇条の御誓文(明治百年記念・菅井新太郎謹書)。
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大変立派な拝殿でした。拝殿は県指定文化財となっています。
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幣殿へ。
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幣殿は昭和60年造営。伊勢神宮より伝わる太々神楽を奉納するために伊勢神宮内宮神楽殿と同じ造りとなっています。
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10.5
再び拝殿前へ戻り、社殿を中心に時計回りで進みます。まずは神楽殿を紹介したいのですが、神楽殿は修繕中のため省略。
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八幡神社。御祭神は応神天皇。御神徳は必勝祈願、戌・亥の守神。
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社号標には「摂社蟻王山八幡宮」とあります。
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慶長3年に尾崎重誉が信州から遷し、寛永3年に安倍右馬之助により遷宮。
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八幡神社横の石祠です。
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木札には正一位稲荷大神と見えました。
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祠の下。
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こちらの建物はわかりません。
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蔵のような建物。「神宮」という木札がありますが何かはわかりません。
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手前の小祠です。
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「遥拝」と見えます…2つ合わせて神宮遥拝…。
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愛宕神社。御祭神は火産霊神・加久都智命。3歳までに参拝すると一生火事に遭わないといわれます。
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保呂羽神社。御祭神は大名持神。国土育成の神です。慶長3年に色部光長により造営。
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羽黒神社。御祭神は稲倉魂命。五穀豊穣の神。
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菅原神社(文珠堂)。
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御祭神は菅原道真。本地仏文殊菩薩。御神徳は成績向上・受験・卯年の守り神。
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慶長3年に尾崎重誉が信州飯山より遷しました。なお、菅原神社の裏に融通神社(御祭神角杙神。本地仏普賢菩薩。御神徳は辰・巳年の守り神)があります。
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幣殿・祈祷殿・御神木。
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雷神社。御祭神は火雷大神。御神徳は邪気退散。雷神様ですが、現代では電気関係者にも信仰されるそうです。
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水神宮碑・熊野山供養塔。
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千手堂。御祭神は国之常立神。本地仏千手観音。御神徳は子年の守り神。
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稲荷神社鳥居。
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奉納鳥居。
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神額には「正一位高平稲荷大明神」とあります。
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御祭神は宇迦之御魂大神。
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35.5
「昭和40年7月奉納稲荷神社拝殿壱宇」とあります。
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ってことで、長くなったので『熊野大社~其之伍(南陽市)』へ続く…
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