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秋田県大館市東台。長根山運動公園・長根山麓・長根山町内会館近く。
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御祭神は伊弉諾尊、伊弉册尊。由緒並びに創建年は不明。
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埼玉県秩父市三峰にある三峯神社を御存知の方は多いかと思います。秩父の三峯神社では狛犬の代わりに狼が境内を守っております。三峯神社の詳細な由緒は省略致しますが、享保5年に日光法印という僧により今日の繁栄の基礎ができ、その時代に「お犬様」と呼ばれる御眷属信仰が遠い地方まで広まりました。以来隆盛を極め、信者も全国に広まり、三峯講を組織し三峯山の名は全国に知られるようになります。狼を祀っている青森県内の神社を過去に紹介したかと思いますが、東北地方でもまた狼は農作物を荒らす鹿や猪等を退治する神の使いとして「お犬様」と呼び崇められてきました。
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なぜ、秩父の三峯神社に触れたかといいますと、ネット情報ですが、大館の三峯神社の狛犬(狼)は埼玉県より引越して来た方の寄贈らしいのです。また、秩父の三峯の名は神社東方にそびえる雲取山、白岩山、妙法嶽の3つの峰が美しく連なることから呼ばれていますが、大館の三峯神社の東側にも鳳凰山を初めとして山々が聳え立ちます。
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狼を神格化したものは真神(大口真神・御神犬)と呼ばれ、古来より聖獣として崇拝されてきました。大和国(奈良県)にある飛鳥の真神原の老狼は、大勢の人間を食べてきたため、その獰猛さから神格化され、猪や鹿から作物を守護するものとされました。東京都青梅市の武蔵御嶽神社には日本書紀の記述に基づく「おいぬ様」の伝説が残ります。日本武尊の東征の折、深山の邪神が大きな白鹿と化して道を塞ぎ、尊は野蒜で退治しましたが雲霧に巻かれて道に迷います。そこに忽然と白狼が現れて道案内をし無事に日本武尊を導いたので、尊は白狼に対して「大口真神としてこの御岳山に留まりすべての魔物を退治せよ」といったといいます。大口真神は天保の頃より盗難除け・魔除けの神として広く親しまれるようになります。映画「もののけ姫」もまさにこのイメージですね。
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6.5
ちなみにこの狼ですが、近くで見ると結構な大きさで迫力があります。
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7.5
台座「平成17年12月吉日・大館市柄沢山王台・小島章浩、千鳥建立」。
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社殿内。
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これはまさしく秩父三峯神社の御影掛軸です。
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社殿横のあちらの建物は草木で近寄れず。
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こちらの祠は何かわからず。
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庚申塔(天保3年)と読み取れない石塔。
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神社境内、もしくは境内の隣接地にあった石碑「竹村菊雄氏頌徳碑」。
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裏面碑文…『竹村菊雄氏は明治三十四年九月二十二日大館の素封家竹菊家三代喜蔵氏の長男として生れ大正六年九月父君の病死に遭い若冠十七歳で家督を継いだ県立大館中学校より東都成蹊実業専門学校に学びその間京都一燈園西田天香先生に師事して修養に励み大正十一年春学を卆へて帰郷し尓来只管篤農に志し小作農家の更正向上を念じ自費を投じて小作人基本財産制を創め人づくり村つくりに情熱を傾け傍ら推されて大館町々会議員郡在郷軍人連合会々長秋田銀行取締役を首め幾多公職会社役員の要職を兼ね地方自治と産業開発に貢献し令三十台で既に県下政財界の重鎮として衆望を蒐めるに至った偶々昭和十二年支那事変の勃発するや陸軍中尉として秋田第十七連隊に応召し仝十四年新成舞兵団西田部隊の軍旗親授に際し誘導指揮官として参内重任を果し次いで北支に出征山西各地に転戦し偉功を立て仝十六年三月五日陸軍大尉に進級翌々七日新任髙木部隊長に隨って敵情偵察中不幸敵弾に斃れた享年四十一歳即日陸軍少佐に任じ従六位勲五等功五級に叙し雙光旭日章並に金鵄勲章を賜わった氏は古来長者の風あり聡明闊達加ふるに慈恵の心甚だ深く一族一門はもとより四隣悉く敬仰し氏に望を嘱せざるものがなかったひと度征途に上るや至る所現地人も氏の徳を慕い慈訓に悦服しまた陣中凄壮の間にあって綽然莞爾として將兵を鼓舞し朗らか部隊の異名を博した如き細心にして豪胆な氏の面目躍如たるものがある可惜不世出の英戈を祖国に捧げて氏の本懐とする所ならんも郷党は柱石を喪い挙げて長恨哀惜の情に堪えず年を経へ弥々追慕乃念禁じ難く昭和十年十月十七日秩父宮殿下御仮泊を記念して出入一同の結成した竹菊会を中心に大方有志相謀り氏没し二十三回忌に際し思出の長根山麓の地を卜し茲に碑を建て氏が不朽乃偉功を讃え永く遺徳を偲ばんとする 昭和三十八年三月七日 題字植木九仙 竹村幸雄書 撰文竹村吉右衛門 渡部忠石工』
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頌徳碑移築紀念碑(昭和50念5月・竹菊会)。
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