1
天台宗松園山寶林院安樂寺。
2
御本尊阿弥陀三尊仏。戦災により観音・勢至両菩薩の脇仏が焼失するも、品川名誉区民石井鉄太郎様ご夫妻の寄進により復元。
3
弘治2年、大僧都良珊和尚開山。初め赤坂山王(山王日枝神社)の別当城琳寺末で、明治元年城琳寺の廃寺に伴い、三田西蔵院末となり、更に同43年9月他の同宗3ヶ寺(観音寺、宝塔寺、徳蔵寺)と共に比叡山延暦寺の直末となったそう。
4
目黒川の流れに臨み、武蔵野台地のはずれに位置。水に恵まれ、境内には70坪余りの自然水による池が現存し、当寺の使用する水は井戸水にて間に合い、昔は湧水を飲料水として谷山村等の近隣に引き水をしていたと云われ、それに使用された木管が堀出されています。池畔には萩が生い茂り別名「萩の寺」とも称されていた由です。徳川時代には勅使が江戸参向で品川宿に泊られた時、火災等非常事態が生じた際には、当寺本堂を御立退き場と定められていました。故に本堂の造りは玉座の造りに準じた「上段の間造り」にて、門前に薙形の高札を立てていました。徳川時代の中期から明治の中頃までは、現在の新橋より芝大門、高輪村及び当寺近隣の村落にかけて一大念仏講を組織し、毎年10月15日の十夜念仏は盛大を極め、門前には市が出来、近隣の善男善女が集まり、今のレクリエーションの役割を果たしていました。往古は隣の氷川神社をはじめ、八幡社、稲森社の別当として支配していましたが、明治初年の神仏分離により各々独立。昭和20年5月の戦災によって本尊仏及び過去帳を除き悉く焼失するも、檀信徒一致の協力により昭和30年復興。平成5年1月別院を新築。
5
本堂の扁額には「松園山」「安樂寺金堂」とありました。
6
連理塚。
7
白井権八(平井権八)・遊女小紫の墓。
8
目黒の明王院が廃寺となり、明治19年に檀徒の要請により移転。位牌等がありましたが戦災により焼失。戦前は歌舞伎上演の折は役者衆の参詣が恒例になっていたそうです。
9
塩掛地蔵・夢違観世音菩薩。
10
夢違観世音菩薩…『悪夢を良夢に変える』
11
塩掛地藏之由来…『何時の頃からか、塩を供えてお願い事をすれば必ず成就すると云ひ伝えられ現在の様に石を溶かした程大勢の人が参詣し御利益を戴きました。』
12
林英太郎君碑(明治37年9月)。
13
宝篋印塔。
14
馬頭観世音(昭和37年)。
15
安楽寺供養塔群八基(品川区指定有形文化財)…『本寺にある供養塔は、寛文9年(1669)から寛政11年(1799)までに造立された庚申供養塔5基と、寛文10年(1670)造立の題目供養塔、延宝年間(1673-80)造立の馬頭観世音供養塔、大正10年(1921)造立の馬頭観世音道標の合計8基である。これらは、もと目黒川の谷山橋脇に建てられていたが、昭和初期の河川改修工事の際に本寺に移されたものである。碑文から、これらの供養塔が、谷山村や桐ヶ谷村などの住民によって造立されたことがわかり、江戸初期から大正期に至るこの地域の民間信仰の様子をうかがうことができる。平成9年3月31日品川区教育委員会』
16
16.5
庚申供養塔5基。
17
17.2
17.4
17.6
17.8
題目供養塔。
18題目供養塔
馬頭観世音供養塔。
19馬頭観世音供養塔
馬頭観世音道標(右桐ヶ谷・左目黒)。
20馬頭観世音道標
その他石塔など。
21
21.4
21.8
寺務所。
22
仁王像。
23
23.5
稲守稲荷社。
24
24.5
稲守荼枳尼真天とありました。
25
すぐ向かいにある安楽寺別院五雲閣。
26
26.5
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ