
第六天神の総本宮。

御祭神は天神第六代坐榊皇大御神、面足尊、惶根尊。江戸名所図会では面足尊、惶根尊とあり、いずれも天神七代(神世七代)。第六天魔王を祀る神社の多くは明治の神仏分離の際に神世七代における第六代の面足命・惶根命に御祭神を変更しています。

景行天皇の御宇40年(110)に日本武尊が勅命により東国の鎮定に下向の際、この地に国土創成の祖神である皇祖二柱の神を鎮祭し、自ら奉持した白銅の宝鏡を納めて国歌鎮護の神宮としました。

古来より「第六天神宮」と称されており公武衆庶の崇敬を受けてきました。江戸時代には徳川幕府浅草御蔵の総鎮守として、家光公より当時日本一といわれた大御神輿の奉納もあり、篤い尊崇を受けていました。

元は浅草森田町(蔵前二丁目付近)に鎮座しており、享保4年(1719)に浅草茅町(柳橋一丁目)に移り、明治6年に榊神社と改称。昭和3年に現在地へ遷座。昭和35年6月には御鎮座1850年式年大祭が盛大に斎行されています。

社殿前の狛犬一対。


社殿前の天水桶。

手水舎。


御水鉢石奉納碑。

石灯籠一対。


神楽殿。


宝物庫。

社務所。

七福稲荷神社。


狐様。


手水舎。横の碑には昭和32年2月吉日奉納とあります。

七福稲荷神社に並んで、奥には事比羅神社・豊受神社も鎮座。


繁昌稲荷社。

手水舎。

「繁昌講昭和46年4月15日奉納」とあります。

繁昌稲荷社殿。

西側鳥居。

狛犬一対。


浅草文庫跡碑。

浅草文庫跡碑(台東区蔵前一丁目四番三号榊神社)…『浅草文庫は、明治7年(1874)7月に創設された官立の図書館である。翌8年に開館し、公私の閲覧に供した。当時の和・漢・洋の蔵書数は11万余冊とも13万余冊ともいわれている。現在、その蔵書は、国立公文書館内閣文庫や国立国会図書館、東京国立博物館などに所蔵され、太政大臣三条実美の筆蹟と伝える「浅草文庫」の朱印が押されている。明治14年5月に閉鎖。跡地は翌15年に設立の東京職工学校(旧東京高等工業学校、現東京工業大学)の敷地の一部となった。関東大震災後の大正13年、当時の東京高等工業学校は目黒区大岡山に移転。昭和3年に現在地に移ってきた榊神社のあたりは、かつて、浅草文庫が位置していたところである。高さ約4mの碑は、この文教の旧地を記念して、昭和15年11月建立された。』



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