『石神様(石神神社・岩木山長平コース)』からの続きです。

石神様奥院の鳥居です。鳥居の横に登山道。ここから登山道を少し登れば長平八十八ヶ所があります。
長平八十八ヶ所につきましては『長平八十八ヶ所(岩木山)』の記事をご覧下さい。

鳥居の横に巨石。
巨石に埋め込まれている写真。状態は良くありませんが恐らく木村健蔵氏の写真。

写真下の碑文「石神三十三体大神」…『木村健蔵氏 右は明治三十四年六月十八日 西郡越水村大字三ツ舘に生まる 爾来農業に従事す 昭和十年七月青森五連隊に入隊広島より朝鮮に上陸し 漢口 天津 石家荘 娘子関 井隆炭鉱 河南省 河北省等に歴戦す 昭和十四年二月現地召集解除され帰郷の途中病に倒る 闘病生活二年 有余にして猶病愈らず 昭和十六年七月石神様に篭り六週間の苦行中神の尊い偉大なる力により病遂に全快し旦避災治病の霊験を授る 以来万人の病気災難を救うこと真に多し 依って信者一同神恩に感謝すると共に木村健蔵氏の行跡を後世に伝える為此処に之を記す 昭和四十一年旧六月十二日 発起人 角田兵助 武田由夫 小山内文雄 髙橋重三郎 中村國雄 佐野万之助 福井健三郎』上記の新しい案内板とほぼ同じ内容ですね。

こちらも巨石に埋め込まれていました。『金琪乗 太田龍造 太田きせ 四大五常 勉其祗植 地水火風をあつめ一身となり 仁義礼智信の五常を守りて忠孝の道に勉め■人を立て家運の興隆を祈願す 昭和四十四年旧八月一日』

巨石前にあった双頭白蛇の碑。裏面碑文「西郡鯵ヶ沢町浜町 父坂本君義二十八才 兄坂本純一三才 弟坂本善和一才 昭和五十一年旧八月一日建立」。
さて、鬱蒼していそうな鳥居の向こうへ行きましょう。

急勾配ですが、思ったほど鬱蒼としていませんでした。

上まで登ると正面に巨石が見えます。
こちらはその手前の巨石。
正面の石はかなりの大きさです。
大き過ぎてすべてが繋がっているのかどうかもわかりません。
まさに石神様といった感じですね。
もしかして何か彫られていたりするのかな…
と思ってじっくりと観察しましたが、私が見た限りでは特に何も無いように感じました。
石の上へも行けそうな感じがしましたが、石神様奥宮の磐座だと思うのでやめておきました。


巨石の下に祀られている奥宮。

覆屋です。

奥宮。状態はあまり良いとは言えませんが、場所が場所だけに致し方ないでしょう。お供え物などから崇敬の篤さは伺えます。



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