
岩木山登山道長平コースの道中にあります。登山道は長平コースで、登山口は「ロックウッド ホテル&スパ」・「青森スプリング・スキーリゾート」になります。

ちなみに私は登山道の途中(長平口)まで車で行こうと思っていたのですが、何やら「北のドレコン」というイベントが盛大に行われており、この日は登山口にすら車で行くことができませんでした。

仕方なく「北のドレコン」というイベント会場内を歩いて横切ってきました。私には何をやっているのかよくわかりませんでした。皆さん車の写真を撮ったりしています。

一応カメラ片手に参加者を気取りながら歩いてきましたが、絶対に浮いていたと思います。

ってことで、この付近が登山口(登山道入口)。

ちょっとわかりにくいかと思いますがここです。

案内板「登山道(長平コース)案内」より…『長平コースは昭和30年代までは、お山参詣や薪炭作業道に利用されてきた地区の重要な里道です。岩木山北斜面のスキー場と大鳴沢の稜線を登れば、眼下に日本海、津軽平野、遠くに北海道、西には白神山地を望むことができます。比較的勾配が緩やかで山頂までは約4時間半で登頂できます。』

種蒔苗代(神様の池)…『小さな湧水池と祠が現れ、とても神秘的です。』
御花畑…『岩木山固有のミチノクコザクラの群生地です。可憐な花が出迎えてくれます。』

案内板では、石神様まで「登り約1時間、下り約50分」となっていますが、最終目的地が山頂ではなく、石神様までならばそこまで時間もかからず、結構余裕で着きます。勾配も緩やかです。っていうか最終目的地が山頂ではなく石神様という方は皆無かと思いますが。【※注意※】私は岩木山山頂まで何度か登っております。普段から焼きそばとか焼き鳥とかを平均以上のペースで食べているので、山を登るペースも平均以上かと思います。体力、体質、体調等にはかなり個人差がありますので注意して下さい。山では天候にも大きく左右されます。『空と山のあいだ』(田澤拓也)を読んだ方ならば石神様付近がどういう場所なのかご存知のはず。山頂を目指す方は少なくとも案内板通りのペース配分を守り、何より安全を考慮なさってください。
それではLet's go!

しばらくは車1台なら余裕で通れる道が続きます。

周囲には誰もいませんが、北のドレコン会場の音が響いています。

これなら熊の心配も無さそうです。

これが使えれば…

きのこ。きのこには詳しくありません。

比較物が無いので伝わらないと思いますが、めっちゃ大きいきのこでした。

ゲレンデ。
分岐。左に行きます。仮に車で来たとしても、この分岐の手前までが無難です。
この先も車で行けますが、道はこのような感じです。
分岐。右に行きます。
壊れた鳥居が見えてきます。
鳥居。

石と石祠。石は完全に苔生しています。
石神様まではもうすぐです。
途中の分岐。この方向(下の写真)には行きません。

道は更にひどくなっていますね。私なら運転する気になれません。
車を停められるスペースはあります。但し頑張ってもここまでですね。

石神様が見えてきました。
社号標「石神大神」。

昭和48年旧9月12日建立。寄贈者石工、北郡鶴田町工藤一二。

比較的新しい石碑「石神様」。紀年銘は平成30年10月です。現在もなお信仰の篤さを感じます。


境内はこのような感じです。石碑を一つひとつ拝んでいきましょう。すべて紹介しますが、私には詳細な説明はできません。
まずはこちらです。説明はできません。着飾った女神です。特に首回りの装飾は細かく描かれています。しゃがんでいるようにも見えますし、亀か何かに乗っているようにも見えます。
裏面碑文「昭和四拾九年旧六月拾五日、安田正勝建立」。

こちらは馬の上に座っている女神です。台座には「大石大神」とあります。
裏面碑文「昭和五十年旧六月十五日、佐野万之助、〃シモ建立」

こちらは弘法大師像。石灯籠一対付です。
台座上段には「奉納弘法大師」、下段には「南無大師遍照金剛」とあります。
台座下段裏面碑文「昭和四十八年五月、太田龍造建立」。名前の下に「九才」と見える気がしますが、「九十才」かな。九才でも九十才でも凄いですけど。

小祠。道中の壊れた鳥居にあった石祠と同じ種類に見えますね。

龍神大神。台座正面に「太郎」「八所」の文字が見えますが、苔によって部分的にしか読み取れませんでした。裏面碑文は「昭和四十八年旧九月十二日、勝野ハルエ、勝野寿人建立」
こちらの石碑はまったく読み取れませんでした。

鳥居。
山姫大神です。卍と書かれた白い布を掲げていました。たまたま布が裏返っているのでハーケンクロイツに見えてしまいますが。裏面碑文「昭和四十八年旧八月一日建立、信仰者一同」。
不動明王。石灯籠一対付(内一基崩壊)。
台座裏面碑文「昭和四十八年七月十二日、大西世鎬建立」。
木村健蔵先生像。石灯籠一対、ブロック塀型瑞垣付。
状態も良く、表情もリアルです。台座には「長寿記念 石神三十三大 大神様 木村健蔵先生81才」とあります。木村健蔵氏については下記参照。
建物がありますがすべて施錠されております。

窓の外から見た感じでは堂宇のようですね。


建物の横には崩壊した小祠などがありました。

建物の裏手には道のような場所もありますが通れる状態ではありません。仮に道だとしたら方角的に大鳴沢へ降りる道になりますね。

こちらは倉庫的な建物。

案内板「石神様」より…『正式名は石神三十三体大神という。開祖は木村健蔵翁である。右は明治34年6月18日に西郡越水村大字三ツ舘に生まれ、以来農業に従事していたが、昭和10年7月、青森五連隊に入隊となり、広島より朝鮮に上陸し、中国の漢口、天津、石家荘、娘子関、井隆炭鉱ほか河南省、河北省を歴戦する。昭和14年2月、現地で招集解除されるも帰郷の途中、病に倒れ二年あまりの闘病生活でも治らず、昭和16年7月、石神様にこもり、6週間の苦行を行うと、神の尊い偉大なる力により、ついに病が全快した。ここに木村健蔵翁は避災治病の霊験を授かり、この地に開祖したのである。以来、石神様は万人の病気災難を救うとして祀られている。長平町内会』

今回紹介してきた場所から登山道を挟んでもう1基鳥居があります。石神様奥院の鳥居です。長くなりましたので奥院については次回の記事『石神様奥院 (岩木山)』で紹介します。



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